第10話 「母と照子さん」

88歳のアーティスト、小林照子さんとの出会い

 フリーランスのTVディレクターにとって、仕事を得る方法は2つ。仕事を依頼されるか、自分で企画を出すかだ。当然、自分の企画は思い入れが強くなる。

 ちょうど数日前、私が数年にわたり取材を続けてきた企画がようやく実を結び、初回の放送を終えることができた。NHKのEテレで48年目を迎えた長寿番組『日曜美術館』の2月11日放送回、『化粧が呼び覚ます 肌の記憶』。今月で89歳になるメイクアップアーティスト、小林照子さんの番組だ。

 私と小林照子さんの出会いは3年前。初めてお会いした時に見せていただいたのが、小林さんの『森羅』という作品集だった。そこには裸体に化粧品だけを使って色鮮やかに描かれた「からだ化粧」というアートが広がっていた。私は一瞬でその美しさに目を奪われた。

 あまりにも夢中で見ていたからだろうか。会ったばかりの私に小林さんはこの立派な作品集をくれたのだ。そんな小林さんの分け隔てのない優しい人柄にも惹きつけられたが、最も興味を引かれたのは、私の亡き母と同世代の小林さんが現役で働いていたことだった。

母は働きたかったのか?

 生前、母は一度だけ、「あなたのように働いてみたかった」と私に言ったことがある。

 母が自分の友人たちに私のことを話す時は、「テレビの仕事で飛び回っていて、ほとんど家にいない」と説明していたが、ディレクターの仕事がどんなことかはわかっていなかったと思う。実際はそこまで家を留守にしている訳ではないのだけれど、母には「娘は仕事が忙しくて、家にいない」ことが強く印象に残っていたのだろう。家にいることが好きだった母から、そんなこと言われるなんて思ってもみなかった。

 宮崎出身の母は、東京に出てきて裁縫の学校に通っていたらしい。でも、私は母が裁縫をしているところなんて見たことがない。妹の学校の宿題で出されたパジャマの裁縫も、母は教えるどころか下請けに出す有り様だったし、母が作るお弁当が私は大好きだったのに、「料理は好きじゃなかった」と晩年打ち明けられた。

 そんな母の夢は、宝塚に入ることだったそうだ。子どもの頃、母に連れられて宝塚の『ベルサイユのバラ』を観に行ったことがあるが、母はもしかしたら裁縫学校に入りたかったわけではなく、何かを夢見て東京に出てきたんじゃなかろうか? 今となっては、知る由もないけれど……。

 母の若い頃は、結婚しながら働く女性は少なかったと思う。だから、母とほぼ同い年なのに働き続けている小林照子さんに私は興味津々だった。

戦中戦後を生き抜いてきた女性たち

 小林照子さんは、私が生まれる前から既に有名な方だった。

 私の母は名前も知られていないけれど、小林さんと戦中戦後の同じ時代を生きてきた女性だ。そして高度経済成長期の真っ只中に東京で暮らしていた。

 父の仕事がうまく行っていなかった時、母は家計を助けるためにメナードの販売員をしていたことがある。小林さんはコーセーに入社して美容部員として多くの女性たちに化粧をしながら腕を磨き、メイクアップアーティストの地位を築いてきた。

 この時代を生き抜いてきた女性は強い。小林さんと母の生き様を見ながら、娘世代の私には「とても敵わない」と思った瞬間が何度もあった。

 全く異なる人生の2人だが、私は小林さんに自分の母の姿を重ねてしまう。母はたぶん、小林さんのような人生を夢見ていたのでは……。

最後の「からだ化粧」をやると決めた小林さん

 小林さんは72歳の時に作品集『森羅』を出版し、自身が生み出した「からだ化粧」を封印した。

 私はこの企画が番組になるかどうかが決まる前から「からだ化粧を若い世代に知って欲しい。小林さんの人生を映像に残したい」という一心で撮影を続けてきた。が、小林さんがもう一度「からだ化粧」をやることは奇跡に近いと思っていた。

 しかし、その奇跡は起きた。小林さんが「人生最後のからだ化粧をやる」と決断したのだ。

 それからの小林さんの意気込みはすごかった。頭の中でどんどんイメージが膨らんでいく。そんな小林さんの気持ちが色あせないうちに、できるだけ早くこの企画を世に出したいと思い、私もアクセルを踏んだ。

 これは誰にも話していなかったが、小林さんと2人だけの忘れられない時間がある。

 番組の編集も終盤に差しかかり疲労困憊していた頃、小林さんは私を気遣って食事に誘ってくれて、遅い時間にもかかわらず、二人だけで焼肉を食べに行った。仕事を離れていろんなことを話したこの束の間の時間は、私の疲弊した心に沁みて、なんだか涙が出るほど楽しかった。今思えば、この時間が最後のパワーとなって番組が完成したのかも知れない(笑)。

 そんな楽しい時は写真を撮るのも忘れてしまう。あの時間を写真に留めておけばよかったと少し後悔した。

昨冬、ダンサー森山開次さんの公演を観に行った時の小林照子さん(撮影 田上D)

<田上Dの担当番組放送のお知らせ>
ダンサー森山開次さんの全身に小林照子さんが人生最後の「からだ化粧」を描いた番組『化粧が呼び覚ます 肌の記憶 メイクアップアーティスト 小林照子』。美しくも儚く消し去られていくアートを堪能できる番組の再放送日はこちらです。

NHK Eテレ『日曜美術館』『化粧が呼び覚ます 肌の記憶 メイクアップアーティスト 小林照子』
2 /11(日)朝9時 ※NHKプラスで1週間 見逃し配信あり
2 /18(日)夜8時(再放送)
https://www.nhk.jp/p/nichibi/ts/3PGYQN55NP/episode/te/1K671YPXWG/

今月の駅弁紹介:峠の釜飯

 人生で初めて食べた駅弁は何だったかなぁと考える。記憶に残っているのは高校生の時、修学旅行の電車の中で食べた「峠の釜めし」だ。陶器の釜のフタを開けると、なかには鶏肉、ごぼう、椎茸、筍、うずらの卵、ゴロンとした大きな栗が入っていた。デザートには甘酸っぱい杏子。当時の若かった私には渋い駅弁に感じたけれど、陶器の入れものを母へのお土産として持って帰ったように思う(中身は入っていないのにね)。

 大人になってから数十年ぶりに釜めしを食べた。陶器を持ち帰るのは重いのでパルプ容器の方を買ったけれど、漬物が入ったかわいい容器が付いていた。 これは昔はなかったはず。こちらも「釜」をかたどっている。こんなちょっとした心遣いも嬉しい。「峠の釜めし」は、今年の2月1日で販売開始66周年を迎えたそうだ。昔からある駅弁を食べると、その味と一緒に懐かしい思い出もよみがえってくるから不思議だ。

荻野屋「峠の釜めし」。中央下の「香の物」の容器に5種類の漬物が入っている

ひとり駅弁部 過去コラム
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