<やまなし介護劇場>
「母、危篤」の連絡を受け、東京から故郷山梨へ飛んで帰って早10年。50代独身の著者が愛する母を介護しながら生活する日々を明るくリアルに綴ります。
死生観を育んだ先に……
親の介護に四苦八苦してはいるものの、介護を通じて得られた最大の価値観は「死生観」です。
幼い頃は親が死ぬなんて想像もしませんでしたが、親だけでなく誰もが死を迎えます。頭では分かっていても、それをリアルに実感するのは身近な人の「死出の旅路」がきっかけになりますよね。
死後の世界があるのか否か私には分かりませんが、宗教的概念が人を救うことも分かるようになりました(世界から戦争がなくならない矛盾もはらんでいる概念であり、そこを哲学するのは難しいですが、汗)。どんな形であれ、死とフラットに向き合うことが出来るようになれば、人生は悩んでも仕方ないことに気づきます(笑)。そう考えるようになってから、私は嫌なことがあってもビックリするほど引きづらなくなったし、それを忘れられるようになりました。
父の死
4年前の春、その日は突然やってきました。
父は胸部大動脈瘤(血管のコブ)の手術を終え、退院に向けてケアをしていた矢先に他界したのです。そもそも予防的処置の手術だったため、誰も父の死を予見していませんで
さらに同時期、母も腰椎圧迫骨折で父とは異なる病院に入院中でした。不謹慎ではありますが、両親不在中の私は解放感に浸ってすらおりました。父が亡くなる前日、父の病院から「朝ごはんを食べたがらず、少し拗ねている」と報告があったのですが緊急ではなかったし、母の病院から日用品を持参するようにと連絡があったので、この日は母を優先しました。二人の病院の距離が車で二時間以上も離れていたし(田舎あるある)、翌日に父のご機嫌伺いに行けばいいと思ったからです。
しかし次の日の早朝に病院スタッフから「父危篤」の知らせが。とっさに前日に父を後回しにした自分の行動への悔いが重々しく頭をもたげました。「私が行ってあげなかったことで、父さんは拗ねた心持ちのまま死んでしまうのか……」と。
死に顔は笑顔
「父さん、笑ってる」
桜が咲き誇る頃に逝った父の死に顔は笑顔でした。私は思わずそうつぶやき、笑ってしまいました。
「昨夜は夕食をきちんと召し上がられて、寝る前には看護師さんたちと何度も炭坑節を歌って、ご機嫌に就寝されたのですが……」
主治医が戸惑いがちにした説明を聞き、私たちは「父らしいなぁ」とさらに笑いました。結局、前日に私が会いに行こうが行けまいが、父はご機嫌で冥途に旅立ったのです。
♪月が出た出た 月が出た 三池炭鉱の上に出た~
最後の夜、父は病室から見える月にご機嫌になって炭坑節のフレーズを何度も歌って看護師さん達を笑わせた(困らせた)——そのことは私の心をとても楽にしてくれました。
晩年、認知症を患い、自分が自分でなくなる不安と闘っていた父。最後は美女(看護師さん)たちに囲まれて宴のような夜を楽しんでから逝った。これこそ大往生! でも入院中の動けぬ母に父の死を知らせることは、私には出来ませんでした(この話はまた後日に)。
葬式の来場者から父の昔の武勇伝や若かりし頃のたくさんのエピソードを聞かされた私たち(子供たち)は、父をとても愛しく感じ、自分たちが親の事なんてまるで分かってなかったことを思い知らされました。火葬場の空には桜吹雪が舞い上がり、父の火葬のクライマックスにはなぜか原因不明の非常ベルが鳴り響き会場が騒然とする一幕もありました。きっと空から父がいたずらしたのです。してやったりと父が笑っている気配すら感じました。
誰かが死んでも人生は続く
こんなふうに死とは日常と地続きで、まるで本のページをめくるようにさらりとやってくるのだと感じました。介護はそれなりに壮絶だけれど、死というページをめくってしまったら、なんとも呆気なく味気ないものだなぁと。なぜなら陽はまた昇り、周囲の景色は少し拍子抜けするぐらいいつも通りに見えます。余韻に浸る間もなく日常に引き戻された感じで、まさに彼岸と此岸の隔たりを感じさせられるのです。
実際、身内の死に直面した遺族はバタバタ忙しく、死を実感するのはずっと後だったりします。私の場合、父の一周忌法要を終えた直後の雨降りの朝、突如、涙がこぼれました。病院から霊柩車で父を連れ帰ってきた朝も雨降りだったので、ふと、あの時と同じ雨の匂いに感じたのです。
「もう会えないんだなぁ」
ようやく心得たのか、そのときはじめて涙が出ました。
かつて自分の人生は親の介護で止まってしまったように感じたこともありましたが、人生は止まりませんし、何も変わっていないようで明らかに思考は変化しています。今を生きる自分の目の前にいる人は誰か? その人は次の瞬間にはもう居ないかもしれないと切に感じとることが出来たら、大切にすべきは誰なのかが少しずつ整理できるかもしれません。あとは人生消化試合。つまるところ、親より長生き出来れば御の字。今はそんなサバサバした心境です。
たかが人生、されど人生。それなりに大切に、さりとて深刻にならず、心地よく日々のページをめくれたらいいなぁと思います。