仮面を被った私の鬱
イギリス人生パンク道

九州出身で英国在住歴23年、42歳で二児の母、金髪80キロという規格外の日本人マルチメディアアーティスト大渕園子が、どうすれば自分らしい40代を生きられるかを探してもがく痛快コラム。40代はあと8年。果たしてそれは見つかるのか?!

あの頃の私は鬱だった

 私は絵を描いたり、アニメーションやアート作品を制作したり、モノを創ることを生業にしているが、先日 『HAPPY WHATEVER 』という題名の映像を衝動的に制作した。

 誕生日パーティーのようなお祝いの場で、周囲の目を気にしながら「幸せ」を装い続ける主人公が、衝動に駆られるように何度も顔をケーキに突っ込みながらも笑顔を絶やさずにいた結果、とうとう感情を失い動きを止めてしまう。でも、そのパーティーの参加者は全く主人公の異常性を察しておらず、パーティーは楽しく続いていく。そんな内容の作品だ。

 なぜ、これを撮ったか。それは3年前の自分が鬱だったことに、今になって気づいたからである。

大渕園子作『HAPPY WHATEVER 』

息子の不登校>自分の感情

 3年前、私の長男が学校に行けなくなり、部屋にこもるようになった。家族間に大きな歪が生まれ、長男は私と旦那を心底嫌い、何もかもが裏目に出て状況は悪化。家族全員にとって、まさにどん底の日々だった。

 その中で私は「前に進まなければ」「長男と家族を支えなければ」と自分に言い聞かせ、前向きな気持ちを持ち続けた。家を一歩出て人前に出れば笑顔を絶やさず明るく振る舞い、仕事をこなし、家庭では自分のことは後回しにして家族を優先した。

 しかし今振り返ってみると、あの頃の私は異常な状態に陥っていた。夜中に壁にへこみができるほどの衝撃で突然、後頭部を壁に強く叩きつけてしまうこともあった。ある時はソファーの足を思い切り蹴って足の指が腫れ上がったし、誰もいないキッチンで奇声をあげたこともあった。

 そんな奇行を繰り返していても、私は「自分は大丈夫」だと信じていた。とにかく前に進むしかなかったし、自分自身を深く見つめる余裕なんてどこにもなかったからだ。

 そんな状況が1年ほど続いた後、少しずつ「自分」を変えていくことで、ようやく長男との信頼関係が再構築されはじめ、2年ほどかけて家族はゆっくりと回復の方向へ歩み出し、今にいたる(息子が不登校を辞めたとき)。

仮面を被ってやり過ごしていた日々

 今はわりと穏やかな生活を送っている私が、なぜ「どん底だった頃の当時の自分」をわざわざ演じて、その映像を撮ろうと思い立ったのか。理由はいくつもあるが、端的に言えば「ずっと笑顔の仮面を被っていた、かつての自分」を撮らなければという衝動に駆られたからだ。

 そして、出来上がった作品を第三者の視点で見たとき、私はようやく確信した。「あの時の私は鬱だったのだ」と。ずっと「自分は大丈夫だ」と思っていたから、自分が鬱だったと気づいたことは、計り知れないほどの衝撃だった。

 私のように感じている人は他にもいるかもしれないと思い、この作品をSNSでシェアしたところ、予想以上の反響があった。「自分も同じ気持ちだった」「私もいつも仮面をかぶって上手にやり過ごしてしまう」といったコメントや体験談が次々と寄せられた。隠れた鬱を抱えながら日々を乗り越えようとしているのは私だけではなかった。

 私たちは「鬱」という言葉を、特別なものや遠い存在と捉えがちだ。しかし日常生活の中で少しずつ積み重なる疲労やストレスが、知らぬ間に自分自身を押しつぶすことがある。その結果、仮面を被って感情を麻痺させて生きるしかないこともある。そして、それは誰にでも起こりうる。  

 「隠れた鬱」に気づくためには、自分の心に耳を傾ける勇気を持つことが必要だ。その勇気が持てたら、自分をさらけ出して声を上げる。この一歩が回復への道を開いていく——少なくても、私はそう信じている。

福岡での個展のお知らせ
このコラムの著者であり、マルチメディア・アーティストの大渕園子さんが12月7日(土)・8日(日)に福岡天神の「Spazio Gallery」で個展を開催します。この機会にぜひご来場ください。

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