嘘つきと帳尻合わせの結婚生活

ママ、お父さんはどこに行っているか知ってる?

 「ママ、お父さんいつもどこに行ってるか知ってる?」

 ある日、当時小学5年生だった娘が、私に軽く仕掛けるように聞きました。

 「え?どういうこと?」と聞き返す私に、彼女は父親がどこにいるのか、iPod(懐)を通して何気なく調べたところ、自宅近くのバーに毎日行っていることを知ったと言うのです。

 仕事が終わって家に向かうときは毎日、「これから帰るよ~」と必ず連絡してくる人でしたが、言われてみれば、その頃は「渋滞にハマったから少し遅くなる」ことが増えていました。

 浮気? それとも罪悪感を持つ何かを隠してる? 毎日ってどういうこと?

夫はなぜ、まっすぐ家に帰ってこないのか

 そこからしばらく様子を見て、彼に単刀直入に聞いてみることにしました。

 すると彼は、「仕事のあと、家に帰る前に自分一人の時間を持ちたいからだ」と。

 「それなら、これからは正直に一杯飲んでから帰ると言ってね」と、そのときはそれで終わりました。 

 日本では仕事帰りの一杯と称し、職場の仲間とのソーシャライズ(または愚痴大会)の場は頻繁にあると思います。息抜きとして、ごく普通に社会でそれが認められています。

 しかし、アメリカにおいてその飲み方と頻度は少し違和感があり、下手をすれば「依存症」のカテゴリーに入ってしまうのです。

 家族がいるところへまっすぐ帰らず、毎日バーに行っている。それは自分をコントロール出来ない人、だから依存症(アル中)ではないかと思われてもおかしくないのです。

 ちなみに、「お酒が好き」という英語での表現は
I enjoy drinking とか、  I like to drink occasionally /socially  と言います。
I love drinking. はアル中をイメージさせるので、ご注意を!

彼は、この I love drinking を毎日一人でやっていたというわけです。

知らない銀行からの明細書

 二度目の「あれ? なに?」はその数か月後にやってきました。

 心当たりのない銀行からの明細書が届いたのです。しかも、それは私の知らない彼の隠し口座でした。その明細書によると、月に$600近くが同じバーで支払われていました。

 ハッピーアワー料金でどんだけ飲んだんだ……。

 呆れてそれを彼に問うと、何の返答も説明もなくスルーされました。

 結局彼はこれを繰り返し、分かり切った嘘をつきながらその量を増やし、「仕事帰りの一人の時間」を続けました。

 この頃から私の心の中で少しづつ、彼に対して「これ、おかしいよね?」と指差し確認が始まりました。

そして、この彼の感情がどこから来るのかを確認したくて、私は家族や夫婦二人の時間を作って、なにかを「共有」することから生まれるコネクション期待しました。

対して彼は、大きなバケーションを計画するなど、「楽しいこと」のみに執着。その時は楽しいけれど、私の望む「共有」はそこにはありませんでした。

そこに温度差を感じる私は、それを埋めようと別のアプローチで帳尻合わせをする

でも、その度にやっぱりなんかちがうと感じてしまう…。

指差し確認と帳尻合わせを繰り返す間、何が正解なのか分からなくなっていました。

そして彼はアル中。酔っぱらうと彼の言うこと全てが正当化されてしまう中で、「これ、やっぱりおかしい……」が繰り返されていきました。

お互いの人生観や感性は似ていたはずなのに……

 もともと私たち夫婦は共に誰とでも仲良くなれる社交家で、お互いに持つ人生観と感性がとても似ていました。

 スーパーポジティブな年上の元夫 に対して、私は面倒なくらい細かいタイプ。そこは正反対でもフォローし合いながら子育てや家庭について目指すゴールが一緒な二人でした

 子供たちが17か月しか離れていない年子ということもあり、彼に対して「戦友」的な感覚もありました。家族の成長と共にその関係は強くなっているとも思っていました。

 でも、なんかちがう……。

 心のすれ違いと膨らんでいく不信感の中で、一緒に居るのに孤独でさみしい。
そのうち私は、同じ孤独を感じるなら一人のほうがよっぽどいい、と怒りすら感じ始めました。

 お互い別の形で相手と向かい合い、別の愛し方を一緒に探そう、と話し合って、合意のうえでカウンセラーに予約しました。でも、当日彼は現れなかった。

 私は気にしすぎで繊細すぎる妻だと邪険にされる。
 子供の三者面談に、お酒の臭いをさせながらやって来る。
 千鳥足で帰ってきても「飲んでない」と言う。

 結局、彼はリハビリ施設に入りましたが、それはあまり意味のないものでした。

この頃には子供たちも父親に対する不信感を示し始め、父親が機能しない環境の中で私は倍の責任を感じ、「子供たちを守る」という気持ちが強くなっていました。

 そして、そんなある日、彼が何の前触れもなく家を出て行ったのです。

しかも、それは携帯電話からの報告で、アパートの鍵の写真付きでした。

突然の出来事に子供たちの不安はマックスに達し、私はもう愛だの共有だのと言ってる場合ではなくなりました。

 迷ってるうちはまだ甘かった……。やるしかない。

<前回までのお話はこちら>



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