100歳まで生きるつもりです
大晦日、故郷の新潟駅に降り立った。新幹線のドアが開いた瞬間、ひんやりとした空気が頬を刺す。「あぁ、新潟に帰って来たな」って思う。
学生の頃は、新幹線の改札には必ず父が待っていて「おかえり」と迎えてくれた。今は改札ではなく、駅近くの決まった場所で車に乗って待っていてくれる。でもなぜか、新幹線の改札を通る度に、若い頃の父の姿をつい探してしまうのだ。
父が60歳くらいの時、年賀状に「100歳まで生きるつもりです」と書いていたのを憶えている。当時は、「100歳なんて……」と母と笑っていたが、あながち今の時代、100歳まで元気に生きるのも珍しくなくなってきた。というのも正月の帰省中、現在83歳の父から「4月から通信制の大学生になる」と打ち明けられたのだ。「父よ、一体何歳まで生きるつもりなの?」と心の中でつぶやいた。
でもまぁ、元気でいてくれるに越したことはないので、80代の人生計画に驚きつつも、やる気になっている父を嬉しく思った。
衰えないためにはどうしたらいいか?
正月休みもあと少し、私が東京へ戻る日が近づいた夕食時、ほろ酔いで上機嫌だった父は、私と妹に今の気持ちを話し出した。
「自分の感覚でいうと、あと1年か2年、生きるだろうと思っている」と……。100歳まで生きると豪語していた父が「随分弱気だな」と思ったが、それならなぜ大学に行くと言い出したのか? 思いきって、父に聞いてみた。
「頭も体も衰えていくのが悔しいんだ」と父は言った。
現役で行政書士の仕事をしている父は今も忙しそうに働いているが、事務所はあと1年で畳もうと考えていたらしい。私もそんな日が来るのは遠い未来でないことは覚悟していた。でも、具体的な年数を聞くと、いよいよ現実を突きつけられた感じで、「あと1年……」という言葉が頭の中でグルグルした。父は話を続けた。「今までは仕事に追われて忙しく生きてきたけど、衰えないためにはどうしたらいいか? 成長すればいいんだと思ったんだ」
私はフリーランスでTVディレクターをしているが、何本も番組を掛け持ちでやっていた10年前と今とでは働き方はやはり落ち着いてきた。なのに父は、83歳からまだ成長しようと思っているのか……(苦笑)。
「学士を取るのはたぶん難しいと思うけど、学ぶことが楽しいんだ」と父は言う。私と妹は、昔からバイタリティー溢れる父を見てきたので、驚きはすぐ納得に変わったけれど、もしかしたら、学ぶ道半ばで父はいなくなってしまうかも知れない。でも、最期までやりたいことをやり続けようとしている父を尊敬する。そして父の頑張る姿を見ると、「なんか、ダメダメな娘で心配ばかりかけてごめんなさいね」といささか自分が情けなくなってくる。
近くできっちり見届けてやろう
一緒に美味しいものを食べて、たわいもないことを話しているこの時間がいつまでも続けばいいのになぁと思う。ここ最近の私は、いつ何があっても自分が傷つかないように(悲しみを最小限に抑えられるように)、いつも予防線を張って生きてきた。だけど今は、父がどうやって自分の人生を終わらせようとしているのか、すごく興味が湧いてきた。私はそれを近くできっちり見届けてやろうと決めた。1億2千万人分の1の人生を私と妹だけでも憶えておきたいのだ。
東京に向かう新幹線の中、駅弁を食べながら父が話したことを考えていた。
思い返せば、私の人生にはいつも父の存在があった。何でも干渉してくる父を鬱陶しく感じていた時期もあったけれど、私は父の影響を受けて育ったんだと、今強く思う。
大学で何のコースを選ぼうかと楽しそうに悩んでいる父。今年はどんな春がやって来るのか、私も待ち遠しい。
今月の駅弁:新潟・小川屋の『3種の鮭』
2025年初めて食す駅弁は、新潟駅CoCoLoの中で買った小川屋の「3種の鮭を一度に味わうちょっと欲張りなお弁当」。
小川屋といえば、新潟の加島屋と並ぶ老舗で、鮭やいくらなどの加工品でお馴染みだ。東京に戻る新幹線で食べようと駅弁を買い終えていたのだが、他にお土産を買おうとブラブラしていたら、小川屋さんの前でこのお弁当が目に留まった。まさか小川屋がお弁当を出していたとは知らなかったなぁ。しかも、「さけ茶漬」と「紅さけ」と「さけ焼漬」を食べ比べられるとは!?どれを買おうか迷っている客には嬉しいはず。
定番の「さけ茶漬」は、茶漬けにしないでそのままごはんにかけて食べてもイケる。「紅さけ荒ほぐし」は、塩気のある鮭らしい味。「さけ焼漬ほぐし」は新潟の郷土料理で、焼いた鮭を酒やみりんと合わせた醬油だれに漬け込んだもので、甘くて美味しい。思いがけず、正月らしい駅弁に出会ってしまった。