Contents
Vol.13「愛、アムール」
我々の世代ともなれば、親たちは高齢。もし親族または愛する人が余命宣告を受けたり、突然逝ってしまったら……。そんな状況に直面をしたら、あなたならどうしますか?
今の私自身には、はっきりとした答えは見つかりません。
ただ、このミヒャエル・ハネケ脚本・監督による「愛、アムール」(原題:Amour)を初めて観た2013年には分からなかったことが、あれから9年経った今は、少しだけ理解が出来るようになった気がしたのです。皆さんも、同じ映画を数年後に観たときに、当時はわからなかったストーリーが自分の年齢が重なりと共に「ああ、こういうことだったのか?」と、理解できた経験はありませんか?
この作品は、老夫婦の介護の姿を描いた人間ドラマです。2012年にカンヌ国際映画祭パルムドール賞とアカデミー外国語映画賞を受賞しました。
私は今回、作品を見直して、自分ならどうするかというヒントを掴めたような心境になったので、このコラムで取り上げてみようと思いました。まずは予告編をご覧ください。
あまりにも残酷で正直すぎる監督の表現力
老夫婦を演じるのはジャン=ルイ・トランティニャンと、故・エマヌエル・リヴァ。そして私が自分と重ねて観てしまった一人娘役は、イザベル・ユペールが演じています。
これは家族をテーマにした映画でもあるので、我々の世代がこれからの人生を考える意味で何かのきっかけになるかもしれません。
この作品は何度観ても、あまりにも残酷で正直すぎる監督の表現力に打ちのめされます。観終わった後、しばらく放心してしまうほどに。でも、これは誰もが通る道なのですよね。そして、それは現実です。すべてを削ぎ落として現実を見せる。それがこの監督のやり方なのかも知れません。観る側に「あなたが答えを見つけてください」というタイプの映画です。
リアリティ溢れるストーリーと熟年役者の演技力
オープニングからネタバレなのですが、映画は警察がガスが充満した元音楽家夫婦のアパルトメントのドアを壊して入って行くシーンから始まります。ベッドルームには美しい花で飾られた故・エマヌエル・リヴァ演ずる妻のアンヌが横たわっていますが、夫であるジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)の姿は見あたりません。
そしてシーンは、老夫婦が引退後も二人で仲良く暮らしていた時へと戻ります。娘のエヴァ(イザベル・ユペール)は音楽家として、遠くイギリスで生活しています。
そんなある日、アンヌが脳梗塞を患ったことからジョルジュの献身的な介護が始まります。彼女は、自分がどんな体になろうとも他人から世話をされることは嫌、とジョルジュに話すのです。
病気のこともあり、夫婦の会話は少なくなっていきます。が、この二人の演技が素晴らしい。いや、もはや演技には見えないのです。セリフのないシーンでも互いが見つめ合うだけで二人の愛を感じることができます。
最後までお互いを支え合い、添い遂げようと決意をしていた二人。アンヌはある日、古いアルバムを見ながら自分のこれまでの人生を振り返り、「かくも長く、素晴らしい人生」と、ジョルジュに言います。
それでも看病を続けて行くジョルジュ。娘のエヴァは母親の姿を見て「これは母ではない。病院で診てもらうべきだ」と父親に勧めます。このシーンは辛かった。もし自分だったらなんと言っていたのだろう?と考えてしまいました。
でもジョルジュは最後までアンヌの意志を貫こうとします。きっとこれは彼自身のためでもあり、生き甲斐でもあるのでしょう。彼女なしでは彼は生きていけない。
今まで出来たことが次第に困難になり、記憶も曖昧になって行くアンヌ。かつては有名なピアニストとして活躍をしていた彼女にとっては、これがとてつもない苦しみへと変わって行くのです。
ジョルジュは自分の考えと、アンヌの願いの間で揺れ動きます。しかし、彼が最後に取った行動は、彼女への愛でした。
鳩の逃がし方に表される揺れる想い
この作品の予告編には、「至高の愛」というキャッチフレーズが使われています。
でも、果たしてこれは妻アンヌの意志を尊重してあげた夫ジョルジュの愛だったのでしょうか? それとも彼のエゴだったのでしょうか?
ハネケ監督は作品の中で、部屋に舞い込んでくる鳩を2度登場させるのですが、これに対する答えは我々が感じとること。答えは観る側に委ねられます。
1度目はジョルジュは鳩を外に逃してやります。そして2度目は毛布にくるみ撫でてあげた後に、鳩を部屋の外に出してやるのです。
観る方によって、いろいろな解釈があると思うのですが、私が感じたのはこうです。1度目に鳩が部屋に迷い込んだ時に逃してあげたのは、ジョルジュがアンヌの人生をコントロールするなんて思ってもいなかったから。この時点ではアンヌの願いを受け入れられずにいたことも感じます。
そして2度目の鳩は、彼女の意志を受け入れ、苦しみから自由にしてあげたことへの比喩ではないでしょうか?
エンディングではジョルジュの姿は出てきません。恐らく彼もアンヌと共に旅立って行ったのだと私は願いたいです。最後に二人がまだ若かった頃に仲良くしているシーンが映し出されるのですから。
私ならどう向かい合うか、考えさせてくれる作品
最後には、両親のいなくなったアパルトメントを娘がひとりで訪れて、その部屋の椅子に座ります。彼女は両親の人生をどう思ったのでしょうか?
いずれ私にもこういう日が来るでしょう。このシーンが私にとって最も自分と重なったところでした。初めてこの映画を見たときは、ひたすら打ちのめされた気分に陥り、「何故?」という疑問が何度も頭をよぎりました。
私は、安楽死について否定も肯定もしません。なぜなら、夫婦の繋がりというのは、その二人にしかわからないものだからです。たとえ娘であっても、そこに入って行くことは出来ないことも、この映画から以前よりも多く学べたことです。夫婦の愛とはそれだけ強い絆で結ばれているものなのでしょう。
命の最後をリアルに描いたこの作品。また数年後にこれを観た時には、私は違う観点から作品を紹介しているかも知れません。そういう状況になったときには、ハネケ監督が映画を観る我々に投げかけるメッセージに答えられる自分がいることを願いたいです。
この作品を観るにはかなりの心構えが必要だと思いますが、私にとってはこれからの自分の両親のこと、そして自分自身のことを考えるきっかけとなった衝撃的な作品でした。いつも私が紹介する作品群とは異なるタイプの映画なので、「たまには、そんな作品も観てみようかな?」と思われた方は、日を選んで観てくださいね。