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車 浮代さんの新刊から「江戸かな」を学ぼう
江戸料理・文化研究家であり、時代小説家の車浮代さんは、江戸文化に関する講演や浮世絵展の監修なども手がけていらっしゃる江戸文化の専門家。好評の近著『歌麿春画で江戸かなを学ぶ』では、「わずか十六文字の江戸かなを学べば、春画に書かれた文字の九割近くが読めるようになる」と、春画の第一人者である喜多川歌麿の名作春画集三作をテキストにして解説されています。エロティックな香り漂う春画と江戸文化について、車さんに教えていただきました。
大英博物館も評価した春画というアート
2015年、日本で初めての大規模な春画展が、細川護煕元首相が理事長を務める東京都文京区の『永青文庫』で開催されました。大英博物館で最高評価を得た展覧会の凱旋企画とあって、マスコミがこぞって取り上げたために注目を集め、来場者数が21万人を超える快挙を達成。その後、京都の細見美術館に巡回した際も8万人を超え、述べ30万人近くが春画を観るために会場に足を運びました。
また、来場者の6割が女性客だったことは、主催者側にとっても嬉しい誤算だったようで、春画がポルノではなく、エロティック・アートとして認知された確証を得たと話されていました。
私も関係者として会場に通いましたが、春画を堂々と凝視して「綺麗〜」、「繊細!」と鑑賞する女性たちを、男性が照れ臭そうに見ている、という情景はおかしみがありました。これは男性脳と女性脳の違いで、男性は視覚情報だけで欲情を感じられますが、女性はそこに物語性がないと興奮しづらい。ゆえに平常心で春画を鑑賞することができるのだろうと感じました。
浮世絵の中のひとつのジャンル
そもそも「春画」とは、性の営みについて描かれた浮世絵(風俗画)の総称を言います。一枚一枚手描きで描かれた肉筆画も、木版で摺られた版画の形態も存在します。落書きも含めれば、奈良時代に建てられた建造物などに、当時描かれたと思われる春画が残っています。
平安時代初期になると、中国から「偃息図(えんそくず/おそくず)」と呼ばれる性愛の手引画集が、医学書とともに京都朝廷に伝わりました。貴族や僧侶たちはこれを面白がり、日本の大和絵師たちに日本版の偃息図を依頼するようになります。
室町時代に入ると、この趣向は庶民にも広がり、桃山時代には明から「春宮秘戯図(しゅんぐうひぎず)」が伝わりました。黄帝と十二人の寵姫の性生活を描いたこれらは「春宮画」と略され、これが「春画」の語源だという説があります。 「春宮画」により春画の人気が一気に高まると、我が国でも盛んに描かれるようになりました。土佐派や狩野派の流れを汲む、本画の絵師が描いた絵巻物がたくさん発見されています。
春画には実にさまざまな呼び名が
江戸時代初期の1655年には、京都で初めて木版摺による「春本(しゅんぽん=官能小説)」が刊行されました。5年後の1670年には江戸でも発売され、挿絵が入るようになり、やがて絵だけが独立した春画が木版画で摺られ、大量生産されるようになりました。
これらは「笑い絵」、「ワ印(笑い絵の隠語)」。「枕絵」、「秘画」などと呼ばれ、中でも冊子状になった春画本は、「笑本(えほん)」、「艶本(えほん・えんぽん)」、「枕草紙」、「好色本」などと呼ばれました。「春画」と呼ばれるようになったのは、実は昭和になってからなのです。
木版画の技術が発達して、美人画や役者絵などの浮世絵が多色摺りされるに伴い、春画もフルカラー化されてゆきます。当初は絵双紙屋で普通に売られていたものが、八代将軍・徳川吉宗による「好色本禁止令」により、製造が禁止されてしまいます。
製造が禁止されたのなら、次の手を!
ですが、そこは反骨精神に満ちた江戸っ子、表向きに売れないならと、秘密裏に製造販売を始めます。
幕府による絵柄や色数の制限などなんのその、金、銀、雲母(きら)摺りにきめ出し(エンボス加工)など、贅を尽くした春画を作り上げ、通常の浮世絵の十倍以上の値段で取引されるようになりました。今や北斎の『富嶽三十六景』の名品は億単位で取引されていますが、当時はせいぜい1枚1500円程度。それに比べて春画は1万円前後する高級品だったのです。
また、それだけの彫りや摺りの技術を投入するには、腕の立つ職人を使わねばならず、また人気絵師の作品でないと高値がつけられません。ゆえに当時は、絵師も彫師も摺師も、版元(出版社+書店)から春画の依頼が来てこそ一流の証だったのです。その証拠に、わずか十カ月の制作期間で忽然と消えた写楽以外、歌麿、北斎、清長、春章、国貞、国芳、広重など、現代に名を残す浮世絵師たちは皆、春画作品を描いています。
当時の春画の役割とは何だったのか?
では、春画の役割とはなんだったのでしょうか? 高価なものですから、美術品として鑑賞するのはもちろんのこと(蝋燭の灯りで鑑賞する春画は艶かしく、格別です)、性の指南書として嫁入り道具に欠かせませんでした。大名などは、有名絵師に肉筆(手描き)の春画を描かせたものです。
また明治になって西洋的倫理観に倣うまでは、日本は性に対して今よりずっとおおらかな国でした。太古から「男女和合」を子孫繁栄につながる“目出度い”行為だと考えていたのです。
よって春画における秘部は、顔と同じサイズにまで誇張されており、大多数の春画の図柄は、さまざまなシチュエーションとバリエーションで、男女ともに活き活きと性を謳歌しています(無理強いされているような絵は、確率的にはあまりありません)。
女性に性欲があることも当然と考えられていたため、女性がむし返し(複数回の情を交わすこと)を迫る……といった図も多く残っており、性に対して、どちらかというと後ろめたさを持つ現代人の感覚で、江戸の性は推し量ることはできません。「笑い絵」、「勝ち絵」などとも呼ばれ、仲間内で見せ合って笑い楽しむものであったり、戦の弾よけに甲冑に仕込むものであったり、長持ちに入れて虫除けにしたり、蔵に置いて火事避けにしたり、亡くなる時に身体に巻いたり……といった、お守りの用途も担っていました。
春画鑑賞の醍醐味は、背景を知ることだけに留まりません。1800年頃からの春画には、絵の背景に文字が書き込まれるようになります。それらは「詞書(ことばがき)」と呼ばれる地の文と、「書き入れ」と呼ばれるセリフから成り立っており、絵の状況を捕捉するものになっています。
絵を見ただけでは単なる男女の営みですが、実はダブル不倫であったり、嫌がっているのかと思えば喜んでいたり、その逆であったり、当時流行の駄洒落が書かれていたりと、江戸かな(変体仮名/くずし字)が読めれば、なかなかに愉快なものです。
『歌麿春画で江戸かなを学ぶ』はこちらから。
車浮代さんのプロフィール
車浮代(くるま うきよ)。時代小説家、江戸料理・文化研究所代表。
大阪芸術大学デザイン学科卒。セイコーエプソンのグラフィックデザイナーを経て、映画監督の新藤兼人に師事しシナリオを学ぶ。浮世絵展の監修、江戸文化に関する講演、企業のアドバイザーなど幅広く手がける。国際浮世絵学会会員。『春画入門』(文春新書)、『蔦重の教え』(飛鳥新社/双葉社文庫)、『カラー版 春画四十八手』(光文社知恵の森文庫)、『春画で学ぶ江戸かな入門』(幻冬舎)、『免疫力を高める最強の浅漬け』(マキノ出版)、『天涯の海 酢屋三代の物語』(潮出版社)など著書多数。
車 浮代オフィシャルサイト:kurumaukiyo.com