お葬式は誰のため?
介護って何だろう?

<やまなし介護劇場>
「母、危篤」の連絡を受け、東京から故郷山梨へ飛んで帰って早10年。50代独身の著者が愛する母を介護しながら生活する日々を明るくリアルに綴ります。

母と父の別れ

 桜の季節になると、父との今生の別れを思い出します。

 5年前の4月1日。父はエイプリルフールの冗談みたいに前触れなく旅立ちました。当時、母は腰椎骨折で入院中。そして、世はコロナ禍。父の葬式の二日後に政府が「緊急事態宣言」を発令し、世の中の在り様も、そして葬儀という形式も様変わりしていったように感じました。

 入院中の母を葬儀に出席させるか否かを身内で議論しましたが、なにせコロナ禍の病院は規制が厳しく「面会は5分以内(のちに面会禁止)」「やむを得ない外出も30分以内」という状況だったので、結局、母には「父の死」を知らせないことにしました。この結論が正解だったか否かはいまだに分かりませんが、一番身近にいた者として悩みに悩んで出した結論でした。だって面会時に伝えるとしても、

 「母さん、父さんが亡くなったよ。あ、もう5分経ったから帰るね」

なんて……そんな残酷な報告、出来ません。

 さらに、葬儀に出席させたとしても…… 
 「母さん、お焼香したら介護タクシーで病院に直帰だからね。お疲れ様!」 なんて……もう、殺伐としすぎて理解不能です。しかも、その報告や段取りをするのは長女の私ですから、そんなドライな対応をしたら一生恨まれるに決まっています。

 そんなわけで、一般的なセンチメンタリズムとは一線を画す、現実的な判断だったと思っていますが、母への報告は父の死から3カ月後、母の退院時となりました。

母は強し!

 父の葬式が終わってすぐ、母も入院治療していた病院からリハビリテーション病院へ転院しました。転院時、介護タクシーで母を移送する道すがら母が
「この前、父さんが夜中に来ていたよ」 などと言い出すものだから、内心ビクビクしました。

 その後、コロナ禍で各病院は「面会禁止」という風潮でしたが、リハビリテーション病院は短時間ならば面会が許されていたので、洗濯物の引き取りや着替えの差し入れの度に少しだけ母と会話することができました。そのたびに母から「父さんは何してる? 会いに来ないね」と言われ、その時ばかりは嘘をつくのが辛かったです(涙)。

 そして母の退院当日。家族全員で迎えに行き、病棟スタッフさんたちにもお見送りしていただき、大名行列のごとく華々しく退院した母に、いよいよ父の死を伝える時が来ました。

 母の好きな神社にお参りをして、休憩所で父の遺影写真を見せたとき、母は直感的にすべてを感じとったようでした。私たちに問いただすことも一切なく、しばらく無言でただ頷きながら私の話を聞いてくれました。高次脳機能障害で子どもじみた行動を繰り返す母ですが、その時ばかりは「母、強し」と感動し、心から安堵しました。そして退院祝いの食事会では父の「影膳(かげぜん)」も用意して、遺影を飾りながら家族で和気あいあいの時間を過ごしました。

 ちなみに「影膳」を用意したのは、理由がありました。実は父の葬儀前後に摩訶不思議な現象が多発したのです。

葬式は残された身内のため? それとも死者のため?

 父の葬式は、コロナ禍で葬儀が縮小化、簡素化されていった頃でした。父は認知症になってから人付き合いもなくなったので、家族葬という形も考えていましたが、知らせを受けたご近所さんや親族が次々と訪問してくれて、あっという間に葬儀の段取りが決まっていきました。初めて身内の葬儀を出す当事者の私たちは、その鮮やかな進行を見守るばかり。正直ビックリしました。

 「村八分」という言葉はネガティブに聞こえますが、その実、「葬式と火事」以外は付き合いを断つという、ゆるりと繋がる村社会を表す意味も持つそうです。我が家が村八分にされていたわけではありませんが、私が東京から帰郷して初めて近所の方々としっかり向き合ったのが、父の葬式でした。現代では村でも地域行事が簡素化し、昔のように地域の関係性が盤石ではなくなって、むしろ「葬式と火事」ぐらいしか一致団結できなくなってしまったようにも感じますが、父の葬儀では本当にご近所の皆様にお世話になりました。

 そうして多くの方々に見送られた父ですが、その多くの方々が語ってくださった父は子どもたちが知らない父でもありました。改めて「葬式は旅立つ死者のための儀式なんだなぁ」としみじみ感じました。

 そんな父の葬式でしたが、葬式の前後、食事の度に大きな異音が発生したり、なぜか車のクラクションが鳴り響いたり、非常ベルが発動したりと、やたらと大きな音が鳴る現象が続きました。まるで父の魂が体を離れても「俺にも食べさせろ!」と欲深くアピールしているように(笑)。それが不思議なことに、前述した母の退院時の食事会で「影膳」を捧げてからは、そのような音が鳴らなくなったのです。死後のことは分かりませんが、死者にも言いたいことはあるんだろうし、そんな魂をなだめたり、慰めたりするために「葬式」があるんだなぁと思いました。

 現代は家族葬が主流になりつつあるようですが、自分の葬式は簡素でも、親の葬式だけは村の流儀でやってあげたい……と思っています。

父の葬儀。母は妹の似顔絵で参加
父の葬儀。母は妹の似顔絵で参加

介護メモ「体のこわばりにはホッカイロ」

 脳卒中などで体に麻痺があると、時々こわばりや痛みが発生します。それを和らげてくれるのが、ドラックストアで売っている「カイロ」。これがまるで温湿布のように活躍してくれます。

 うちの母は麻痺した左側の足の付け根にカイロを貼っていましたが、先日、訪問マッサージの先生から「左足の付け根だけでなく、右足の付け根にも貼るといいですよ」と言われ、両足に貼るようにしたら改善が早まりました。麻痺していても体は左右連動してるのですね。また、頭がリラックスすると、それに連動して足も楽になるそうです。母の足がこわばったとき、「母さん、頭を楽にして」と声かけると足の力も抜けるので、体って摩訶不思議です。

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