母の毎日をドラマチックに!
介護って何だろう?

<やまなし介護劇場>
「母、危篤」の連絡を受け、東京から故郷山梨へ飛んで帰って早10年。50代独身の著者が愛する母を介護しながら生活する日々を明るくリアルに綴ります。

母性を取り戻させる大作戦

 朝晩の冷え込みが厳しい頃ですが、二十四節気ではまもなく冬至。そこから少しずつ、また日は長くなっていくのだと思うと、じんわりと希望が生まれる心持ちになる……単純な一服です。

 名言は、ありふれた暮らしから……と、先月ご紹介させていただきましたが、演劇や映画や音楽など物語の中にも人生のヒントやハッとするシーンは溢れていますよね。私は演劇畑の“すみっコぐらし”が長いので、友人の芝居やライブにウルウルワクワクさせていただいた思い出も多く、心奪われた夜長には、帰り道の足どりも余韻とともに軽やかだったことを覚えています。

 母が倒れて以来、私は山梨と東京を往復する生活を始め、しばらくして母は一般病棟からリハビリ病棟に移りました。その頃の母は自分に何が起こったか把握しており、自分の子どものような年齢のスタッフさん達に優しくされながら日々リハビリに励んでいました。でも、突然の生活の変化と思い通りにならない自分の体に、戸惑いと悲しみを抱えていたはずです。

 手術後に「子ども返り」してしまった母を見ながら、まだ母に甘えたかった大きな娘(私)は、「どうすれば母が再び母に戻ってくれるのだろう」と考えました。今までの生活が激変した「病院生活では発動できないもの」とは何かと? 

 それは「母性」。その瞬間、ある物語のワンシーンが頭に浮かびました。「よし、これをやれば母性が取り戻せる!」と確信した私は、母にひとつお願いをしました。

 「母さん、テレフォンカードをプレゼントするから、私が東京に居る一週間、毎朝モーニングコールをお願い」

 すると母は、「何時に?」と聞き返し、輝きを宿したような目で私を見据えました。

『八日目の蝉』の名台詞からの脳内ドラマ

 さて、この作戦のヒントとなった物語とは、角田光代さんの小説『八日目の蝉』でした。不倫相手の子どもを誘拐し育てるという、一途に狂っていく女の物語。引き返せないスリリングな展開にページをめくる手が止まらず、女の人生のクライマックス(警察に捕まり、子どもから引き離される瞬間)に叫んだ言葉についには涙してしまったのですが、その言葉とは……

 「その子、まだ朝ごはん食べてないの!!!」

 逮捕されるという緊張感マックスの瞬間に発したその言葉は、狂気に満ちた女のソレとはほど遠い、ありふれたお母さんのものでした。そのあまりのギャップから私は完全に彼女の悲しみに共感し、物語の中でストックホルム症候群に陥ってしまったことを覚えています(笑)。

 この誘拐犯から母のモーニングコールへと繋がる脈絡は皆無ですが(失笑)、あの物語から醸し出る「母性」が強烈な余韻を残していたのでしょう。

誤解を恐れずに言えば、母性とは一種の狂気にも似た側面があると思います。自我を放ち、我が子の今日を安全に平和にと外敵を蹴散らしてひたすら一途に戦うお母さんは、子どもにとってヒーローのような存在。子どもが信じる存在は、お父さんよりお母さんだったように思います(少なくとも我が家では、笑)。

 そんなわけで、脳内でドラマ企画を立ち上げた私は、母に「モーニングコールをよろしく」作戦を実行しました。

親子であり親子でない不思議感覚

 2012年初夏。自分が率いる劇団の舞台直前から本番の約二週間、私は久しぶりに東京にガッツリ滞在していました。演目は時代ファンタジー。殺陣シーンもふんだんにあり、演じる役者さん達も、本番に向かって熱を帯びていく……。高揚感にまたたく間に巻き込まれ、しばし母のことも忘れる日々を送っていました。

 そして劇場入りとなった朝、その電話が鳴り響きました。

 「おはよう、7時だよ。起きてるかい?」

 本番期間にモーニングコールをお願いしたことを、母はしっかり覚えていました。忘れていても構わなかった気まぐれな娘との約束を、母はしっかり遂行しようと待ち構えていたのです。

 「うん。起きてるよ。今日から本番だから頑張るね!」
 「頑張れ! また明日、電話するからね」
 「うん。ありがとう。行ってきます」
 「いってらっしゃい」

 他愛もない朝のシーン。久しぶりに、母と娘であることを実感しつつも、「40過ぎて、入院中の母にモーニングコールさせる娘って、しようもない奴だな」と、苦笑いしか出ない朝でした。

病棟の片隅の公衆電話で娘にモーニングコールをかける母(髪が少し伸びています・笑)

 そして、舞台の幕が下りるその日まで、母のモーニングコールは続きました。もちろん、私はいい大人ですから母の電話の前に起きていましたが、あえて毎朝モーニングコールをありがたく受け続けました。

 親子でありながら、あえて「親子を演じる」という不思議感覚……。

 リハビリの一環というよりも、失った何かを取り戻そうとしているような、まるで親子で「人生のリハビリ」をしているといっても大げさではないような、そんな時間でした。

 母に「母性の発動」を促すことにより、「母を母として存在させる」我が家のひと芝居。このあとも数回、こういう機会があったのですが、その都度「さすが母さん!」とおだて上げ、母はニンマリとドヤ顔を見せる……が、我が家のささやかな幸せの定番となっていきました。

 そんないい話なんだか、コントなんだか分からない我が家の話もまた折々に(笑)。次回もどうぞお楽しみに!

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