九州出身で英国在住歴23年、42歳で二児の母、金髪80キロという規格外の日本人マルチメディアアーティスト大渕園子が、どうすれば自分らしい40代を生きられるかを探してもがく痛快コラム。40代はあと8年。果たしてそれは見つかるのか?!
私が見ていた大人は今の私より年下だった
私は時折考える。「大人」って何なんだろう。現在41歳の私は世間で言うところの「大人」に分類されるはずだ。しかし私自身は自分が大人かどうか、あやふやなまま41歳を迎えた。
今でも気持ち的には10代の自分が色濃く共存しているし、実際自分の中二病的な拗らせが作品を作る原動力になることが多々ある。90年代のドリカムを聞けば私の心はすっかり中学時代に戻るし、未だにエヴァンゲリオンを見ては「逃げちゃだめだ」と本気で唱えられる。
中学生の頃の私は(1995年前後)、大人というのは自動的になるものだと思っていた。当時テレビで旋風を巻き起こしていた有名人、たとえばダウンタウン(当時32歳)やウッチャンナンチャン(当時31歳)、彼らの番組に出演していた榊原郁恵や田中美佐子(共に当時36歳)などは自分の中で絶対的な大人だった。彼ら全員が今の私より若かったのだから、中学時代の自分が見る「41歳の私」は間違いなく大人である。
でも自分では「大人」とは思えない。あっけらかんとイギリスで生きてきて気づけば41歳になっていただけで、行儀や振る舞いも20代の頃とそう変わらない気がするからだ。
大人の定義とは何か?
何をもって大人と言うのか。広辞苑には「十分に成長した人。成人」と書いてある。
この世には無数の生き方があり、この定義が万人に当てはまるかと言えばそうではないだろう。何を持っているから、何ができるから大人だというステータス基準でもないはずだ。大人になるとは、精神的な成熟を指すのか。それとも社会の中で秩序ある振る舞いや行いができるか、できないかで判断されるのか。一般的な大人の意味はなんとなく掴めるが、それが自分のことになると突然ぼんやりしてしまう。
私の場合、イギリスに18歳から住んでいることも関係しているかもしれない。日本社会で一度も仕事をしたことのない自分は、大人としての何かが欠けているという負い目のようなものを若い頃から感じている。たとえば日本に里帰りする度に、慣れない「大人の仮面」を被ってどうにか社会に紛れ込んで過ごそうとしている自分がいる。日本へ里帰りする前には毎回、年相応に見えそうなマナーをわきまえた洋服を一式揃えるという「大人服の爆買い」をしたりしてしまうのだ。普段イギリスではカラフルで肌も見えるような服を着ているのに。
なぜ、私はそこまでして「大人という定義」に自分を合わせようとしてしまうのだろう? そのことが自分でもずっと不思議だった。
自分がしっくり来るものとの出会い
私が20代半ば頃(2007年前後)ロンドンの日系美容院に行くと、美容師の方はいつも私に「歳相応の女性誌」を持ってきてくれた。でも当時の私には、そこに載っている見出しも写真も「大人社会でみんなに愛されたいなら、こういうスタイルにしましょうね」と言われているようで、全くしっくり来なかった。
その頃から「大人の階段を上り損ねた」気がしていた私だったが、30歳の時に「これだ!」と思える愛読誌と出会えた。その名は『Popteen』。ティーンエージャーを対象とした雑誌だ。キラキラにデコレーションされた表紙の中で、巻き髪とリボンとつけまつげでポーズをキめるギャルモデルの子たちに強烈に興味が湧いたのだ。自分の世代向けの女性誌には感じなかった正直さや多様性、なりたい自分像への飽くなき探求がものすごいエネルギーで伝わってきた。彼女たちのアツい生き様に心を動かされたのである。2年ほど買い続けた『Popteen』は今でも大切な宝物だ。
こうして大人になるどころか、30代にティーンエージャー路線で生きて来た私だが、「大人になるって何なんだろう」という疑問は消えることはなかった。
そんな私が当時(30代の頃)から好きだったのが、きゃりーぱみゅぱみゅ。彼女が独自の「原宿系KAWAII」を国内外へ発信し世界観を確立しているので、ポットキャスト番組『きゃりーぱみゅぱみゅ Chapter #0 ~Touch Your Heart~』もチェックしている。その番組に先日、スチャダラパーのBoseがゲスト出演した際、私の長年の悩みの答えがようやく見つかったのだ。
Boseはきゃりーぱみゅぱみゅに、こう言った。
(歳を重ねることって)ひとつひとつの“質感”が上がるだけだと思うんだよね。見た目はふわっとした綿あめみたいな服だけど、近づいたらめっちゃ素材の良い服だ、みたいな。大人になっていくって多分そういうことで、やりたい感じは変わらないんだけど、質は上がっているみたいな。ダンスのレベルが上がっていたり、音の質感が上がっていたり……。そういうことが、きゃりーちゃんにも起こり始めているんだと思うよ
(AuDee https://audee.jp/news/show/102783 )
これを読んだ私はまるで雷が落ちたように痺れてしまった。「そうか、そういうことでいいんだ」と、救われた思いがしたのである。
やりたい感じは変わらないけど、質感が上がっている———。
きっと今の私もそんな感じなんだろうなと思う。そして、その質感はこれまでの人生における体験や経験によって知らず知らず培ってきたものなのだろう。
大人になることは「ちゃんとした誰かのような大人像」の仲間入りをすることではなく、自分の中にもともとあった質が向上することなんだ。このことは私を勇気づけ、これからも胸を張って自分のままに歳を重ねていけばいい、と思えるようになった。
もしかしたら大人になるって、こういうことに「気づくこと」なのかも知れない。