
九州出身で英国在住歴23年、42歳で二児の母、金髪80キロという規格外の日本人マルチメディアアーティスト大渕園子が、どうすれば自分らしい40代を生きられるかを探してもがく痛快コラム。40代はあと8年。果たしてそれは見つかるのか?!
24年間も暮らしたロンドンを離れて
18歳でイギリスに来て、早いもので24年が経った。
最初の20年はイギリスの首都ロンドンで暮らした。ロンドンは世界で最も人種が多様で多文化的な都市。2021年の国勢調査によると、人口約890万人のロンドンの約41%がイギリス国外で生まれた人々だ。300を超える言語が話され、異なる文化やバックグラウンドを持つ人々が共存していることがロンドンの特徴で、それは私にとって何よりも大切な要素でもあった。世界中から集まった人々と触れ合い、お互いの違いを尊重しながら充実した時間を過ごしたロンドンは今でも大好きな街だ。
私の人生に転機が訪れたのは4年前、コロナ禍をきっかけに子どもが心身の問題を抱えるようになり、学校に通うことが難しくなった。この状況に向き合うために、私たち家族はロンドンを離れ、静かな環境で生活することに決めた。夫の仕事の都合で移住先はマンチェスター近郊となり、自然に囲まれた田舎で家を探し始めた。
イギリスの田舎町に多様性はあるのか?
ロンドンという街の多様性とは対照的に、イギリスの田舎はほとんどが白人イギリス人。多くの家庭が何代もその町で暮らしてきた伝統的な背景を持ち、新たな文化や人々の受け入れには時間がかかることが多い。 絵本の世界のように美しい風景が溢れるイギリスの田舎だが、私が田舎に引っ越すことへの不安を強めたのは、この多様性のなさが理由のひとつだった。
なかでもBREXITの投票結果が私の不安を増幅させた。ロンドンとその周辺の都市はEU残留を強く支持したが、地方都市からはEUからの移民や多文化社会に反発する声も強かったので、私たち家族のようなアジア系が果たして地方で受け入れられるのか心配だったのだ。
この村で暮らすと決めて
田舎での家探しには1年をかけ、私は何度もひとりで家の見学に行った。どの街でもアポの1時間前には現地に到着し、その街や村の雰囲気を歩きながら感じ取りたくて歩き回った。私が見た地域はどこに行っても、すれ違う人々の99%は白人イギリス人。これまでロンドンで見てきた日常とは全く違う世界が広がっていて驚いた。
家探しの時、私はあえて夫(白人のイギリス人)を連れて行かなかった。なぜなら彼が一緒だと私は「白人のイギリス人と一緒にいるアジア人」になり、「ひとりのアジア人」としての存在が薄れてしまうからだ。私は、ひとりで村の人々に挨拶をして、その反応を見て回ることで実際に私たちのようなアジア系家族がそこでどのように受け入れられるのかを感じたかった。私はいくつもの村を訪ねたが、そのほとんどで、こちらが笑顔で挨拶しても村人たちの反応には戸惑い驚きが含まれていた。少なくとも、私はそう感じることが多かった。
しかし、家探し10カ月目で訪れたある村は違った。それまで訪れたどこの村よりもアジア人の私にフレンドリーだったのだ。だから、私たちはこの村に住むことを決めた。
42歳80キロの「ミス・アジア」
引っ越してからは、村のコミュニティに入るために積極的に行動した。PTAに参加し、近所のママたちを自宅に招いてパーティーを開いた。村のイベントではフェイスペイントをするブースを出した。道を歩くときは意識して口角をあげ、通りすがりの人には必ず挨拶をした。 この村に住むアジア人は私の知る限り私だけで、時に自分が「アジアを背負っている」と感じることもあった。これからここに新しく引っ越してくるアジアの人々を喜んで迎え入れてもらいたい。それには私の言動が影響するのは間違いない。だから私はこの村で、42歳80キロの「ミス・アジア」のつもりで生活している。まあ、無理せず楽しめる範囲でやっている。
子どもたちの方は、環境にすぐ馴染んでいった。下の息子が中学校に入った頃、ひとりのクラスメイトから「カンフーパンダ」と呼ばれてからかわれたが、すぐに他の子たちと仲良くなり、穏やかに過ごしている。

寿司柄の靴下の贈り物
先日、息子と散歩しているとき、村の中でもあまり通らない道沿いの茂みの上に、寿司のイラストが描かれた「片方だけの靴下」がちょこんと置かれているを発見した。それは、どこからどう見ても日本でいただいた私の靴下だった。
なぜ片方だけ、こんなところに置かれているのだろう? そもそも失くした覚えもない。「どうしてここに私の靴下が?」と驚きながら拾い上げた。そして、その靴下の写真をFacebookの村のグループアカウントに投稿してみたら、思いもよらぬ反響があった。

なんと、その靴下を見つけてくれたのは、村に住む4歳の男の子だった。グループメッセージ欄にお母さんから「本当に良かった!息子も喜ぶわ」というコメントがあり、村の人々の温かい感想で欄がいっぱいになり、私もその男の子と家族に感謝の気持ちでいっぱいになった。
その後、村のFacebookグループでは「靴下のミステリー」が話題となり、片方だけが落ちていた理由についての推理が始まった。私も一生懸命考えたが、私が出した推理はこうだ。「私が手縫いで丈を短く直したパンツの縫い目がかなり雑だったので、洗濯した時にその粗い縫い目に靴下の片方が引っかったが、それに気づかずそのパンツを履いて村を歩いたときに靴下が落ちた」……真相はわからないが、この推理が一番しっくりきた。
だが、この小さな「靴下のミステリー」をきっかけに、村の人々との絆がさらに深まったように感じている。引っ越した当初は少し不安だったが、今は温かいコミュニティに支えられ、素晴らしい友達もたくさんでき、息子たちも成長し、この場所に根付き始めた。そして、この小さな出来事は私にとって忘れられない思い出になった。こうした温かな出来事こそ、人生で大切な宝物だと実感している。
