
九州出身で英国在住歴23年、42歳で二児の母、金髪80キロという規格外の日本人マルチメディアアーティスト大渕園子が、どうすれば自分らしい40代を生きられるかを探してもがく痛快コラム。40代はあと8年。果たしてそれは見つかるのか?!
そのままで良し!
先日、日本に住む友達3人とLINE電話をしていたとき、ダイエットの話題になった。すると友達のひとりが私に「ソノコちゃんはさ、別に痩せようとか思ってないもんね」と言った。
「うん、そうだね!」と答えたが、これは決して強がりではない。
私は本当にそう思っていて、そう思えることが嬉しいというか、少し誇らしくもある。小さい頃からずっと体型にコンプレックスを抱えてきた私が、ようやくありのままの自分を受け入れられるようになったのだから。42歳になった今の私は、自分の体重や見た目を「そのままで良し」としている。
自分で自分をディスった似顔絵
子どもの頃から私は自分の体型に敏感だった。
そのことに最初に気づいたのは、小学校で自分の似顔絵を描いたときだ。いつも二重顎でブタ鼻、海苔弁眉、大きなお腹と出べそ。それが私にとっての「わたし」だった。でも当時の写真を見ると、私は明らかに小柄ではないが、人が驚くほど太ってはいなかった。あの頃の私は世間から何か言われるのを避けるために、「私は美人じゃないって自覚してるよ」ということを伝えるために、こんな似顔絵を描いて想いを示そうとしていたのかもしれない。

中学生になっても、その気持ちは変わらなかった。雑誌『CUTiE』などに掲載されるスレンダーなお姉さんたちに憧れつつ、「私には一生無理だ」と諦めていた。高校で初めて本気で恋をしたとき、ごはんが喉を通らなくなり、人生唯一の「痩せていた時期」もあったが、高校卒業後にロンドンに移住して、安価で食べられるジャンクフードばかり食べて体重は見る見る増えていった。
2000年代初頭のロンドンでは、「サイズゼロ」という体型が流行していた。これはアメリカの洋服の最小サイズ。当時はガリガリに痩せたモデルたちが脚光を浴び、パリス・ヒルトンやケイト・モスのような骨が見える体型が理想とされた。その時代を反映した映画『ラブ・アクチュアリー』では、主人公ナタリーが体型について何度も揶揄され、それが当然のように受け止められていたが、今振り返ると、その描写に嫌悪感が湧く。でも当時はそれが当たり前だった(近年、監督のリチャード・カーティスはそのことを反省したと語っている。
「太っていることは悪」という風潮
20代で今の旦那と出会ったときも、私は「こんなに太っている私が愛されるわけない」と思い込んでいた。初デートで「こんなに太った私でもいいのか?」と聞いたことを今でも覚えている。
ロンドンではあっけらかんと暮らしていても、日本に里帰りするたびに体型に対するコンプレックスを強く抱いた。成田空港に着いた瞬間、「日本ではこんな自分が人前に出るのは恥だ」と感じ、周りの目が怖かった。実際、日本滞在中は何度もいろんな人から太っていることを指摘された。そのたびに「そうなんですよ~」と笑い飛ばすようにしていたが、当時は「太っていることは悪で、自業自得。だから誰でも太っている人を攻撃してもいい」というような雰囲気があった気がする。
27歳で出産。妊娠中のむくみや授乳によるたれ乳、帝王切開の傷、妊娠線など、妊娠出産で私の身体は大きく変わった。30代は育児と仕事に追われて自己管理を後回しにしていたが、コロナ禍に家庭の問題で深く悩み、食べることで安心感を求め、朝からマヨネーズたっぷりのオムレツを食べていた。

体重は変わらなくても健康的な生活に
その後、家族の問題が落ち着き、40代を迎えた私は初めて自分のために時間を使いたいと思うようになった。コロナ禍後半に歯科矯正を始めて少しずつ自信がつき、初めて髪を金髪に染めた。外見の変化が心にも影響を与え私は自分を少しずつ認めて、守れるようになった。ファッションも「年相応」ではなく、自分が着たいものを心から楽しむようになってきた。体重は変わらないけれど、健康的な生活にシフトし、散歩をしたり食べ物に気を使ったりするようになった。その結果、人間ドックでの健康状態は30代の頃より良くなった。
1年前、このコラムの連載が始まる時、編集長が「42歳で二児の母、金髪80キロという規格外の日本人アーティスト」というキャッチフレーズを考えてくれた。なんてパンクな一文! まさに青天の霹靂だった。
「そうか!私はもう私のままでいいんじゃん」
この言葉をきっかけに、自分を受け入れて自信を持つことができ、もう罪悪感を感じながら暮らす人生は送らないと心に誓った。
今振り返ると、過去の私は自分をいじめ続けていたように思う。昔の写真には、いつもどこか申し訳なさが漂っていた。「こんな自分でごめんなさい」というような悲しさ……。
あれから20数年が経ち、多様性を重んじる時代になった。私も過去の自分を癒し、自分を大切にして生きることに誇りを持っている。こんなことは私の人生で初めて感じたことかもしれない———。

