ブラック・ウィドウの婚約者たち
バーテンダー・トーク

【カリフォルニアの隠れ家バー便り】
世界中からチャンスを求めて移住者がやってくる米カリフォルニア。人種の坩堝の中で生きる様々な人たちが、ふらりと訪れる小さなバーで働く日本人バーテンダーが、カウンター越しに耳にしたリアルなアメリカをつぶやきます。

妖艶な美貌を持つシングルマザー

今日のお客様

 4人のお子さんがいるシングルマザーのシャノンさん(仮名)は40代前半のとても美しい女性。あまりにも妖艶な美人なのでお仕事はモデルか女優かと思いきや、なんと夜間の警備員をされているそう。そんな彼女に起きた摩訶不思議な悲劇とは……。

 「ブラック・ウィドウ」と聞いたら、何を想像されますか? 私はスーパーヒーロー系の映画はあまり観ないのですが、「ブラック・ウィドウ」と言えばマーベル・コミックスや同系列映画の中に出てくる、強くて美しい元スパイの女性を思い出します。

 「ブラック・ウィドウ」は日本では「クロゴケグモ」という種類の蜘蛛。いろいろ種類はあるものの一般的には小さくて丸い体をもった黒い蜘蛛で、メスだけに鮮やかな赤い模様があります。この蜘蛛は稀に繁殖行為の後にメスがオスを食べてしまうこともあるため、美しいけれど怖いというイメージが「ブラック・ウィドウ」という名の「美しい暗殺者」というキャラクターの誕生に繋がったようです。

 シャノンさんは以前からたまに立ち寄ってくださるお客様ですが、個人的な話を聞いたのはこの日が初めてでした。ハスキーな色っぽい声で語る話と、その美しい姿が重なって、まさに「ブラック・ウィドウ」のキャラクターのようなイメージ。もちろん彼女が暗殺者だなんて言うつもりはありませんが、話を聞いたあと「もしかして彼女はブラック・ウィドウ?」と心がざわつきました。

シングルマザーと仕事を両立させるために

 シャノンさんには高校生を筆頭に4人の子どもがいるので、子ども達と一緒に過ごす時間を増やすために、夜間の警備員の仕事をしているそうです。夜間に仕事をして、朝になったら帰宅して子ども達と一緒に朝ごはんを食べて学校に送り出してから就寝。子ども達が帰ってくる頃に起床して、子ども達が寝付くまで面倒を見てから出勤するという生活を続けているそうです。

 こんなに美しい女性が夜間の警備員の仕事なんてして大丈夫かしら?と思ったのですが、ごく普通のオフィスビルらしく「歩けば運動にもなるから一石二鳥だし、不審者がいるようなところを見回るわけじゃないから大丈夫」と言う、逞しいお母さんです。

婚約者の事故死

 久々にご来店の彼女の薬指には大きなダイヤの指輪が輝いていました。その指輪を見ながら「実はね、ちょっと前に婚約したの」と、なぜか少し悲しげに切り出したシャノンさん。「でね、先週その彼が死んだの」と続けたのです。

 「おめでとう」を言う前にそう言われて話は急展開。涙ぐみ見ながら話してくれた話は……。

 フィアンセの男性は、毎日シャノンさんの終業時間に迎えに来るのを日課にしていたので、その日も彼女を家まで送り届け、数時間後に一緒にブランチをする約束をして別れたそうです。仮眠をとった彼女は約束通り、彼に電話をしたけれど連絡が取れない。なんだか胸騒ぎを覚えて心配になり、外に出てみたら近所にパトカーが何台か留まっていたそうです。それには足を止めず、歩きまわったけれど彼とは会えず、家に帰った数時間後、彼の家族からの電話があり、彼が交通事故で亡くなったと知らされた——彼女が近所で見たパトカーは彼の事故現場のものだったそうです。

 「ひき逃げですか?」と聞くと、「運転をしていた人は、彼はすでに道に倒れていた。暗かったし黒い服を着ていたので気が付かなかったと証言している」とのこと。心臓発作か何かで倒れていたらしいので、「検死の結果が出るまで死因はわからないの」と言って肩を落とし、カクテルのおかわりをオーダーしました。

ブラック・ウィドウかもしれない……?!

 これが「つい先週のこと」なら、かなり傷心しているはず。それなのに、なぜひとりでバーに来ているのかしら、と思っていたら、まるでこちらの心を見透かしたように「そのことはなるべく考えないように、元気なふりをしているのよ。美容院に行ったり、買い物に行ったりして気分転換をしてね。正直あまり実感もないし」と言っていました。

 でも、私の頭の中は謎ばかり。彼は車でシャノンさんを家まで送り届けて降ろした後、なぜひとりで歩いていたのか? 彼の家はシャノンさんの家の徒歩圏内なのか? 彼は散歩が趣味だったのか? 彼には持病はあったのか?

 聞きたいことがたくさんあってウズウズしましたが、婚約者が亡くなったばかりの人にそれを聞くのは失礼だと思い我慢しました。

 そして帰り際、「お子様たちのためにも元気で頑張ってくださいね」と声をかけました。するとシャノンさんは、「ありがとう。私は大丈夫よ。もう何度か経験しているから」と言ったのです。

 「私ね、フィアンセが死んでしまった経験は初めてではないの。」

 なんと! 亡くなった婚約者が複数いるとは……。あまりに驚いて「どういうことですか?」とは聞けませんでしたが、子ども達の父親(達)ももういないのだと言っていたので、さすがにちょっと怖くなりました。

 その後、ミステリアスで妖艶なシャノンさんは来店されていません。だから話の続きも聞けていませんが、きっと今も強く逞しく生きていらっしゃる気がします。セクシーなカクテルが似合いそうなシャノンさんですが、彼女が注文したのは甘いデザートカクテル、緑色のグラスホッパーでした。ご自身が醸し出すイメージとは違って少し驚いたのですが、グラスホッパーはバッタなどの昆虫のことですから、蜘蛛とは虫繋がり……なんてね。

今月のカクテル:グラスホッパー

 材料からも想像できる通り、チョコミント・アイスクリームのようなデザートカクテルです。ホイップクリームをアイスクリームに変えてブレンダーで作るとフローズン・グラスホッパーとなり、さらにデザート感が増します。カクテルの仕上がりが綺麗な緑になるように、カカオ・フレーバーのリキュールは透明なものを選んでください。

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