九州出身で英国在住歴23年、41歳で二児の母、金髪80キロという規格外の日本人マルチメディアアーティスト大渕園子が、どうすれば自分らしい40代を生きられるかを探してもがく痛快コラム。40代はあと9年。果たしてそれは見つかるのか?!
憧れた大人たちは自分と同世代だった
私は41歳。九州からイギリスへ渡り、23年が経った。人生の半分以上をイギリスで過ごしてきたことになる。
80年代前半に九州の片田舎で生まれ、福岡でアート制作と音楽にまみれた高校時代を過ごした私は、どうしても「表現者」になりたくて18歳で単身ロンドンに留学した。以来、ロンドンで学校を卒業し、夢だったアートにかかわる仕事を得た。その後、イギリス人と恋に落ちて結婚し、子どもを産み、フリーランスのマルチメディアデザイナーとしてイギリスで暮らしている(どうやってここまで生きてきたかの詳細は当誌のインタビュー記事をクリック)。
自分で言うのもなんだが、割と安定した充実感のある日々を送れていると思う。それについては心から感謝している。そんな日々の中で最近あることに気づき、なんとなく心に引っ掛かりを覚えている。
その気づきとは、自分が福岡で青春を過ごしていた頃に憧れを抱いていたアーティストやミュージシャンたちの年齢だ。当時すごい人だと思っていた人たちが、実は自分と同世代だったという事実を今頃になって知って、愕然としたのである。
イギリスでも当然、ネットで日本の記事が読める。日本の記事にはなぜか年齢も書かれているので、その人たちが今何歳なのかが分かるが(イギリスでは通常、年齢は記載されない)、記事によれば椎名林檎は45歳、COCCOは47歳、渋いおじさんだなあと思っていたナンバーガール(ZAZEN BOYS)の向井秀徳は50歳。私がずっと憧れていたお姉さんお兄さんたちは、実は私とほとんど変わらない時代を共に生きていた同世代の人たちだった。
自分より年上だからという安心感
私が青春時代を過ごした福岡は音楽やアートが盛んな土地だった。そこで私はナンバーガールやクラムボンを聴き、椎名林檎やCOCCOなどの大人でかっこいいお姉さんたちからも日々刺激を受け、田舎の15歳なりに「いつか私もあんなクールなお姉さんお兄さんのようにすごいものをアートの世界で発表できたら……」なんて夢を描いていた。
そんな頃、世の中に彗星のごとく、自分と同い年の宇多田ヒカルが現れた。彼女はあっと言う間にミュージックシーンはもとより当時の若者社会を台風のようにぶった切って新しい地を開拓し、誰もが知ることとなる唯一無二の表現者、成功者になった。
同い年の宇多田ヒカルの輝きは、福岡で暮らす私を少し焦らせた。彼女のアルバムは大好きだったのに素直にファンにはなれず、私は椎名林檎やCOCCOなど「自分よりも年上のお姉さん」たちの表現活動に陶酔し、憧れを抱いた。
今思えば、その理由は明白だ。「自分よりも年長で経験値が高い人たちだからすごい」という前提は、表現者になりたいのにまだなれていない自分を安心させてくれた。だから「私は若いし、時間は無限にある。これからゆっくり表現者としての経験を積み、その時が来たら自分の作品を世に盛大に発表するんだ」と自分に言い聞かせて、それがいつどういう形で実現するかは謎のまま、私は福岡からロンドンに飛んだのである。
「君は結局、何になりたいのさ?」
それなのに、椎名林檎もCOCCOも「当時から自分と同世代の人たちだった」ことに驚愕したのだ。これは15歳の私が同い年だった宇多田ヒカルに感じた焦りとほんのり同じだと思う。
今の私は、イギリスで面白い仕事もたくさんさせてもらっている。ありがたいことに評価を受けている作品もあったりする。でも、今でも「私はこれだ!」というものが定まっておらず、デザインからアートから動画まで幅広いジャンルの仕事や機会を精一杯こなし、なんなら素人俳優としてカメラの前で表現することもある。どのジャンルの仕事も好きだから、30代は自分が何者なのかわからなくても、全部ひっくるめて「SONOKO OBUCHI」だと言い切っていた。
そんなふんわりとした解釈のまま40代に突入した私が、ずっと年上だと思っていたアーティストたちの年齢を聞いて焦りを感じたのは当然だったと思う。自分以外のアーティストはみんな若くして自分の世界を確立し、そこから人生の深みを増し、表現者として長い間それぞれの生き様を作品に落とし込み、発表を続けている。でも私はずぼらで、川の流れに乗っているだけ。その流れが年々加速して、おもしろいものをたくさん運んできてくれるから、ここまで辿り着けただけなのだ。
私のことを知らない人からすると、海外で家族と暮らしながら様々な国の人たちからなるグローバルなアートプロジェクトに参加して毎日楽しく生きているように見えるかも知れないが、実際はそれほど呑気な毎日ではないし、50歳になった時の自分がどうありたいのか、その答えどころかアイデアさえ見当たらない。
「君は結局、何になりたいのさ?」
この声の主は、私自身だ。椎名林檎の年齢に驚愕したことで、この声に気づくことだけはできた。私の40代はあと9年。何をどうすれば40代を自分らしく生きていけるのか。40代を生き抜く指針のようなものは、待っていれば川から流れてくるのか?
たぶん、おそらく、きっと、そんなものは川から流れては来ない。
待っていれば向こうからノコノコやって来てくれるなら、世の中から悩みなんてなくなるはずだ。じゃあ、どうすればいいのか? 何をすれば、それが見つかるのか? それを探す私の旅(=もがき)をこの誌面を通して皆さんと共有して行きたいと思っている。