パリの誇りと自信 オリンピック開会式を見て
イギリス人生パンク道

九州出身で英国在住歴23年、41歳で二児の母、金髪80キロという規格外の日本人マルチメディアアーティスト大渕園子が、どうすれば自分らしい40代を生きられるかを探してもがく痛快コラム。40代はあと9年。果たしてそれは見つかるのか?!

自称オリンピック開会式マニア

 突然だが私は自称オリンピック&パラリンピック開会式マニアである。

 幼い頃からオリンピック&パラリンピックの開会式を観るのが大好きな私が、愛してやまないのは、その「演出」だ。

 開会式は開催国の文化と誇りを世界に向けて表現する大舞台。近年の4つのオリンピックに遡ると古い方からまず、中国の5千年の歴史と美と民族の誇りを一糸乱れぬ圧巻パフォーマンスで世界に魅せつけた北京オリンピック開会式(2008年)。1万人のボランティアを集結しイギリス人魂を歴史と文化を通し世界にこれでもかとカッコよく見せつけたロンドン・オリンピック開会式(2012年)。奴隷制度や移民の歴史をもちゃんと盛り込み、その元に成り立っていった多文化国のパワーをモダンな演出でやり切ったリオ・オリンピック開会式(2016年)。どの開会式も鳥肌もので、特にロンドン・オリンピックに至っては、その演出が好きすぎてDVDを購入し今でも定期的に見るほどである。

煮え切らなかった東京オリンピックの開会式

 そして近年4つ目が東京だった。開会式マニアの私にとって、東京オリンピックへの期待はものすごく大きかった。開催が決まった時から「開会式は間違いなく日本国民を自信に満ち溢れさせることのできる素晴らしいものになるだろう」と胸を高鳴らせ、リオ・オリンピック閉会式の引継ぎ式で披露された『Rio to Tokyo』(演出振付家MIKIKOや椎名林檎が中心となり創った伝説の作品)を観て、その期待は確信へと変わった。

 コロナ禍で予定よりも1年延長して開催された2021年の東京オリンピックは、きっとオリンピック史上一番難しい開催だったに違いない。しかし、何年も楽しみにしていた自国における開会式には残念ながら落胆し、観終わったあとは心底しょんぼりしてしまった。

 海外に向けて日本をアピールしたかったのだろう。でも、あれではどこにも届かない内容だったし、演出に忖度が感じられて煮え切らず、作り手の情熱が感じられない中途半端な作品だった。あれから3年が経過して、やっと傷が癒えてきた今だから振り返ることができそうだが、日本の開会式の何がそんなに残念だったのか?

 それはリオ・オリンピックの閉会式で披露された『Rio to Tokyo』を製作していた天才クリエイターの方々が皆、志なかばに辞退・解散することになったことだ。私は当事者ではないが、演出振付家MIKIKOが出した声明を読んで、同じクリエーターのひとりとしてやるせなさで絶望した。彼女がその時に感じていたことや、信じるものと圧力の狭間でもがき続けたであろう最後の数カ月は想像するだけでも涙が出る。

 それでも、その後を担った新チームが違うアプローチで開会式を最高の作品に仕上げたならば少しは救われたかもしれない。しかし、世界に披露された開会式の演出は少なくとも私の心には響かず、心に残ることもない中途半端な作品だった。

 コロナ禍で様々な制限があったとしても、映像や音楽など、日本の誇りを世界に届ける方法はたくさんあったはずだが、あの開会式からは日本がほとんど見えてこなかった。しかも、その9年前に既にロンドン・オリンピック開会式で使われた曲と同じ、ジョン・レノンの『イマジン』を歌ったり、アメリカ由来の文化であるタップダンス、ジャズピアノ、モーリス・ラヴェルのボレロなどにかなりの時間が割かれていた。日本という国の素晴らしさを世界へアピールできる最高の大舞台で、なぜ日本由来の文化にもっと光を当てなかったか。せっかくの開会式を「表面だけのインターナショナルな雰囲気」に仕上げたのかは今でも謎でしかない。  

 そんなわけで東京の開会式を観た後はあまりにも落ち込んでしまい、ロンドン・オリンピックの開会式DVDを3時間ぶっ通しで観て過ごした。

パリ・オリンピックの開会式

 そして日本時間7月27日、パリ・オリンピックの開会式が開催された。始まった瞬間から感動で涙が溢れ、最初の1時間で5回くらい泣いてしまった。

 おもちゃ箱をひっくり返したような演出をカオスと受け取る人もいて賛否両論あるだろうが、私にはものすごく響いた演出だった。

 パリを流れるセーヌ川を舞台に美しい風景や建築物を見せながらフランスの文化や歴史も取り入れ、そこにアスリートや見物客たちの息吹を加えていた。あいにくの雨天すら味方につけて、「素晴らしき私たちのパリを見て!」というクリエーターたちの自信が溢れる堂々たる演出だった。パリらしいお洒落なセンス、フランスのユーモアとエッセンス(個人的にはフレンチメタルバンド Gojiraとマリー・アントワネットのオペラ共演は最高にクールだと思った)。荒削りな箇所も多々あったが、それもご愛嬌という感じで、開催地パリの素晴らしさを世界に知らしめた強烈なインパクトのある開会式だった。

誰に向けて作品を作るのか?

 いい意味で平手打ちをくらったような衝撃を受けたパリ・オリンピックの開会式を観て肝に命じたことは、やはりクリエーターが作品を作るときに「この作品は誰に向けて作るのか?」という軸の強さの重要性だ。

 自分の信念を貫いて全力で表現できるか、それとも忖度を感じる生ぬるい作品にしてしまうのかはクリエーターの腕によるのはもちろんだが、重責のプレッシャーに耐えられる精神力の有無にも大きく左右されると思う。

 私は「誰に向けて作るのか?」を明確に打ち出したうえで、クリエーター自身の燃え上がる情熱と信念、想いを作品に全力で注ぐことが大切だと思っている。その二つのバランスが整い、意思疎通できる環境でクリエイターが持つものを最大限に発揮できることがいい作品、プロジェクトにつながると信じているからだ。これは私が開会式マニアだからではなく、自分自身もその軸が揺らいで大失敗した経験があるからだ(その大失敗については後日この連載で書くつもり)。

 パリ・オリンピックの開会式を観て、心から願ったことがもうひとつある。それは、いつか再び日本に「世界に向けて日本を表現できる大舞台」のチャンスが訪れることだ。そのときには日本にもクリエーターの命が吹き込まれた心の通った作品が表現できる環境が整っていることを願っている。

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