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見る人の心が温まるカワイイにこだわって
「わあ、可愛い!」。思わず声が出てしまうほどキュートで、“オトナメルヘン”な作品を展開しているprankish/Tomoさん(以下Tomoさん)は、誰もが知っている数々の有名キャラクターのプロトタイプの造形制作を担う造形師であり、prankish名義では、あらゆる材用や手法で“カワイイ”をカタチにするアーティストです。作品づくりだけでなく、ワークショップや多ジャンルアーティストとのコラボなども積極的に展開するTomoさんに、アートについての想いや、彼女が生み出す世界観についてお話を伺いました。(聞き手:永浜敬子)
ハワイアンキルトでハンドメイドの素晴らしさに覚醒
編集部:幅広いジャンルでご活躍のTomoさんですが、作品づくりのきっかけとなったエピソードを教えてください。
子どもの頃からモノづくりが好きだったのですが、大きなきっかけは高校1年のときに家族旅行で行ったハワイです。宿泊したホテルのベッドカバーがハワイアンキルト製で、とっても素晴らしかったんです。それまで日本で目にした座布団カバーのようなキルトとは、まったく別物でした。繊細で高度な技術が施された古典的な文様は、うっとりするほど美しかった。すぐにロビーまで走っていって、受付の人に片言の英語でハワイアンキルトのことを聞いてみたら、どうやら「ビショップ・ミュージアム」に行けばよいとのこと。ホテルからはずいぶん離れた場所だったのですが、ひとりでバスを乗り継いでミュージアムに向かいました。広い館内には、ハワイの歴史や文化の展示がぎっしり詰まっていて、展示されていたハワイアンキルトの美しさに圧倒されたんです。とても感動して1日中、ミュージアムで過ごしました。ハワイにはサーフィンが目的で行ったのに、滞在中はミュージアムに足を運んだ回数の方が多かったくらいです。もっとハワイアンキルトを学びたかったのですが、日本では本格的なものを教えてもらえるところがありませんでした。でも、学びたい。それならハワイに行こうと。当時の我が家にはお小遣いというシステムがなかったので、ハワイに行く資金を作るために、アクセサリーや小物を作って、フリーマーケットなどで売るようになったんです。
編集部:高校生なのにすごい行動力とバイタリティですね。
「人と同じことより違うことをするほうが楽しいよ」と教えてくれた父が早くに病気で亡くなり、中学3年生のときに母が「私はこれまで女手ひとつで頑張ってきたから、これからは好きなように生きる」という宣言をしたんです(笑)。それから家事、晩ごはん作りは私の仕事に。そこで自分のことは自分でなんとかする癖がついたのかもしれません。
編集部:最初はどのようなものを作っていたのですか?
最初はストラップやミサンガ、アクセサリーなんかを作っていました。お金が貯まるとハワイに行って、ハワイアンキルトを学びながら、空いた時間にはストリートにゴザを敷いて、日本人観光客向けに貝殻にアクリルカラーでハイビスカスの花を描いたり、ビーズで作ったアクセサリーを売っていました。「愛LOVE」などのように、漢字と英文字を組み合わせたハガキも、外国の人がよく買ってくれました。「どういうものが、どういう人に喜ばれるのか?」ということを察知する力は、この頃に養われたのかもしれないですね。私、「これだ!」と思ったことは、なんでもとにかくトライしてみるんです。ダメなときは、きっと魂が合わないんだなと思って、すぐに撤退。自分と合わないことに固執するのは時間がもったいないと思います。
遠回りに見えて、着実に歩んだアーティストへの道
編集部:若い頃から独立心が旺盛だったのですね。その後は順調にアートの道に進まれたのですか?
いいえ、順調だったわけではありません。私の家系は代々、公務員。服飾か芸術を学びたいという私の希望は、家族に却下されました。そこで福祉関係の短大へ進み、公務員保育士になりました。でも心の中はずっと「モノづくりがしたい!」。その気持が抑えきれず、2年半働いて保育士を辞めました。すぐにでもモノづくりがしたかったのですが、資金がない。そこで一度、立ち止まって「自分に足りないものは何か?」と、自分とじっくり向き合いました。そして頭にひらめいたのが、「そうだ営業だ!」と。ちょうどインターネットが拡大し始めた頃なので、営業力に加えて、ビジネススキルやITの知識も身につけたいと考えたんです。就職情報雑誌を見て、ユニットバスの販売の営業に応募して採用されたのですが、ここで最初の月にトップセールスを記録したんですよ(笑)。決して安い買い物ではないユニットバスは、当時の私みたいな小娘からはなかなか買ってもらえません。そこで、「自分を信頼してもらうには、どのようなアピールすればいいか」を考え、最初の5分間で商品の特性やメリットなどを簡潔に伝える方法など、試行錯誤しながら戦略を組み立てたんです。2年間でしたが、ここで営業のノウハウやビジネスのイロハを学ばせてもらいました。
編集部:そして、晴れて独立。お店を構えずにオリジナル作品を流通させるのは、簡単ではなかったのでは?
そうですね、作品を作って、ホームページも作りましたが、それだけでは誰も見に来てくれません(笑)。そこで、いろんなメディアに紹介の依頼をしたり、作品を置いてもらえそうなお店には足を運んで直談判しました。当時、ビーズがブームだったので「ビーズものなら」と言われたら、作ったことないものでも「できます!」と(笑)。ハッタリなんですが、できると言った手前、下手なものは出せませんから、水面下で必死に練習しました。このとき、「いくらいいものを作っても、それが伝わらなければダメだ」と言うことを学びました。また、イベントなどで親しくなった人から「今度、会社に遊びにおいでよ」と言われたら、それが社交辞令だとわかっていても、「遊びに来ました!」と出かけていくんです。そのうち口コミで「おもしろい子がいる」と人から人に伝わり、幅広い人脈ができました。作品の精度の高さはもちろんですが、私は「モノづくりの肝は、最終的には人」だと思っています。作り手がどれだけおもしろい人間かどうかが問われると思います。
私は今でも毎日、ブログを更新し、エゴサーチをしてSNSなどで私の作品や私のことを話題にしてくださる方には、必ずお礼のメッセージを送ります。これはどんなに体調が悪くても必ずやる、と自分に課しているんですが、それは独立当時、誰にも気づいてもらえなかった経験の賜物だと思っています。
人間力の研鑽が作品に生き生きとした命を吹き込む
その影響はとても大きいと思います。まったく同じ造形を作っても差が出ます。私は作品を作る時、デッサンはしません。動画をキャプチャーするんです。どういうことかというと……私が幼少の頃、毎晩、寝る前に父と母が交代で本を読んでくれたんですが、たとえば「森の中の一軒家」という言葉を聞いて、私の頭の中に広がるその情景に勝手に色や音をつけて、アニメーションのように動かしていたんですね。今もそう。こういう造形を作ろうと身構えなくても、ふっと子どもの頃のセルフアニメのように、キャラクターたちが自然に私の頭の中で動き出すんです。その動画を一時停止してキャプチャーしたものを、立体にします。デッサンから起こすと、どうしても平面的になってしまって人形に魂が入らないんです。私の人形たちは表情が豊かだと言っていただくことがありますが、それはきっと、魂が入っているからだと思います。
prankish/Tomoプロフィール
造形を中心として、誰もがときめくオトナメルヘン作品を様々な資材で制作するアーティスト。クライアントのオリジナル商品の原型製作や羊毛人形ワークショップ、様々なアーティストとのコラボ作品なども手掛ける。2011より毎年、個展を開催。2015年、Warner Bros.映画のキャラクターおよびグッズ原型の監修。2018年には、PEANUTSのキャラクター・コラボレーションを手掛け、おさるのピザトルとのコラボレーションなども展開中。
Instagram @queentommy