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流行語にもなった「グレイヘア」の先駆け
Go Women Go世代には懐かしい90年代のフジテレビ黄金期。この時代を担った人気アナウンサーのひとり、近藤サトさんは、退局後もフリーのアナウンサーやナレーターとして活躍を続けていらっしゃいます。
そんな近藤さんが、白髪を染めずにメディアに登場し、その凛とした姿が日本社会に大きなインパクトを与えたのは2018年のこと。当時50歳だった近藤さんによって広まった「グレイヘア」という言葉は、その年の「ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされたほど話題になりました。
グレイヘアに加えて、独自のYouTubeチャンネルで着物の良さについての情報なども発信されている近藤さんが、次に挑戦するのは朗読劇。しかも、その朗読劇は「人生の折り返しに近づいた女性たちが、これからどう生きていくかを模索していく」という、Go Women Go世代にぴったりなストーリーだそう。
自分らしい生き方や、来月公演される朗読劇『VA VA VA』について、近藤サトさんにお話を伺いました。
髪を染めるのを止めようと思ったきっかけは?
質問:1998年にフジテレビを退職後、独立して活躍されていますが、現在は主にどのようなお仕事を中心に活動されていらっしゃいますか?
仕事の核は、ナレーションです。テレビ番組のナレーションを日本語でつける仕事が主で、声を出して何かを伝えることが仕事です。私は声優ではないので、たとえば番組に流れるナレーションのように、長い文章を読みあげることに対して、日本語の響きを含めて醍醐味を感じます。番組ができあがったときに自分のナレーションがうまくマッチして、さらにその番組が豊かになったり、説得力が増したりすると、とても嬉しいです。
質問:近藤さんといえば、素敵なグレイヘア。40代、50代の女性は白髪との付き合い方に悩んでいる人も多いですが、近藤さんが髪を染めるのをやめよう、グレイヘアでメディアに出ようと思ったきっかけを教えていただけますか?
あまり、気概をもって始めたわけではないのですが、若い頃から白髪が多く、30代後半からは白髪染めをしていました。当時、私が置かれていた特殊な環境では、アナウンサーは「マジョリティーの頂点」を目指させられる職業でした。つまり、すべての人に受け入れられる画一的な人、「隣家にいるような女性」でなければならないんですね、洋服も髪型もすべて。若い頃はそれでよかったし、日本のマスコミでは、そういう訓練を受けるので、多くの人はそれを演じていると思います。
でも私は、マイノリティー(少数派)であることに喜びを感じるような人間なので(笑)、そこに対して非常に窮屈な思いをずっと抱いていたんです。けれども髪の毛を染めないとマジョリティーにはなれないし、お嫁さんにしたい隣のお嬢さんにはなれません。そのうえアレルギーがあるので、白髪染めや化粧で肌荒れがひどくて……。そんなふうに自分自身が「ナチュラルではない」ということを窮屈に感じているときに、東日本大震災がおきたんです。
仕事柄、白髪が出てしまうのはまずいと思い、防災用バッグの中に白髪染めを入れた——そのとき、自分に失望したんです。それが、なにより大きなきっかけでしたね。それほど自分が追い詰められていたことにも気がついたし、それを繰り返してきた自分に対する失望もあったので、「これはもう、自分のために辞めた方がいい」と(苦笑)。人にどう言われようが、私の精神はこれではもたないし、豊かな人生を送っていけないと思ったんです。幸い仕事はナレーションなので、顔を出さなくてもできる。「別に白髪でもいいでしょ」と思ったんです(笑)。
グレイヘアでメディアに出始めた頃の反響は……
質問:40代、50代の女性のグレイヘアは一般化していませんが、グレイヘアで公の場にはじめて出ていったときは、どのような反響がありましたか?
これはですね、日本ってすごい国だなあと思うんですが、誰も何も言わないんですよ(苦笑)。驚くでしょう? それまで、40代の女性が白髪のまま多くの人の前に出ていくという選択肢がなかったので、その選択をした人間に対する言葉を誰も持ち合わせていなかったんです。私自身もびっくりしましたね。「なんで誰も何も言わないんだろう……」って(笑)。
日本社会では「白髪を染めるのは普通だ」という慣習があるので、白髪染めをしないことを表明して公の場に出たときは、誰も私に声を掛けられなかった、特に男性は。唯一、坂上忍さんだけは「いいね」って言ってくれましたね。そういう方も稀にいらっしゃいますが、ほとんどの人は「見なかったこと」にするという反応をしたので、とても驚きました。
質問:そんな環境下でのブレイクスルーは、なんだったのでしょう?
ネットでは私に対して「劣化した」とか「どうしちゃったの?」とか、ネガティブなコメントはありましたが、それは想定内でしたから何とも思いませんでした。やっぱり、多くの女性たちから「いいんじゃないの?」という言葉をいただいたことが響きましたね。
ブレークスルーは女性誌の力だと思います。最も早く私にコンタクトしてきたのは『婦人公論』だったので、さすがだなあと思いました。「どうして染めないのですか?」と理由を聞かれて、はじめて話したメディアでした。そこから放物線的にどんどんメディア取材が増え、あらゆるメディアから連絡がきて、流行語大賞で「グレイヘア」がノミネートされたり、本を出しませんか、講演をしませんかとポジティブな声がかかるようになったんです。
グレイヘアにしたことで、「あなたの選択を支持しますよ」という方たちがどんどん増えていきました、主に50代以降の女性たちが中心に。それ以前とはがらっと変わり、特に男性ファンがいなくなりましたね(笑)。
質問:女性たちは、グレイヘアでいい文化の到来を待っていたのでしょうか?
やっぱりみんな、最初に言い出すのが怖いんですよ。そうしたいと思っている方はたくさんいたと思うんですが。たとえば草笛光子さんのように70〜80代でグレイヘアにされてテレビに出ている方はいらっしゃるけれど、40代ではまだ早いわよね、と。
当時、40代でテレビにも出ているグレイヘアの元アナウンサーはいなかったと思います。だから、私が出たときに「それもひとつの選択肢か。ありかもね」という感じで。私が言い出したことによって、周りも言いやすくなったのかもしれません。
日本はジェンダーギャップ指数が相変わらず先進国の中では高く、「それが日本だよね」と、皆さん理解していると思うんですよね。だから「周囲からネガティブなことをたくさん言われましたか?」という質問もよく受けるんですが、認証ペースはめちゃくちゃ早かったんですよ。「大丈夫、いいよ、あなたの選択は認めてあげますよ」と。
日本は、私の白髪をすごいスピードで認めてくれたと思います。ただ、「社会における平等」「多様性を重んじた公平な選択肢のひとつ」というところには、まだ至っていないかもしれません。そこが非常に日本的だと思いますね。
質問:「私はできないけど、近藤さん、がんばって!」という感じ?
はははは(笑)。まさに、そうなんだと思います(笑)。
女性の真の美しさとは
質問:欧米とは異なり、日本では「女性は若い方がよい」という固定概念があると思うのですが、白髪のままでいることは、それに反する姿勢だと思います。近藤さんは「女性の真の美しさ」とは何だと思われますか?
うーん、たぶん女性とか男性というより、主語は人間だと思うんですが、私は若さへの過剰な賛美が非常に顕著になってきたのは、戦後だと思っています。高度経済成長期を経て女性は専業主婦が増え、男性が養うという経済構造ができあがってしまったのちに差が広がってきたなと。もちろん源氏物語や平安時代から若い子がいいとか、幼女趣味みたいなものもありましたが、男と女という二つの性に区切って、「女らしさ」「男らしさ」を一般的な社会通念として定着させてしまったのは、私は昭和だったと思うんです。
人間の美しさっていうのは、世阿弥が当時から「時分の花、まことの花」というのを提唱しているわけですよ。時分とは、そのとき。ですから若い時の美しさはそのときの美しさですが、年をとって、たとえば50歳のときに咲く花もまた美しい、ということを言っている。日本の概念の中には、ずっと昔からこういう概念はあるんです。
たとえば高村光太郎が、老人と赤坊の美しさについて、先天の美ではなく、老人の「閲歴が作る人間の美(後天の美)」に強い牽引を感ずる、と言っているんですよね。だから当時の知識人、今でいうインフルエンサーのような人たちって、「後転的な美しさ」「皺に刻まれた美しさ」というものに価値があると言っていた。そう言われなくなったのは、戦後の日本の復興と経済に重きにおいた日本の成長が、日本古来の人としての倫理観とか、時分の花とまことの花の両方があるのだよという真実を押し込めてしまったからだと思うんですよね。
だから私が考える美しさというのは、私が今考えたことではなく、日本人が昔からずっと言ってきていることを、もう一回ちょっと思い出してみない?ということなんです。世阿弥や高村光太郎が言っていた、先天的な若さの美しさではなく、人生の経験値を積んでその瞳に現れた叡智とか、佇まいとか、そういう後天的なものに美しさを感じるというのは、私たちが本来持っている能力を思い出そうよ、ということなんだと。
欧米だと、たとえば深い皺が刻まれたかなりの高齢者がファッション雑誌の表紙になったりしますよね。でも日本では、それはありません。日本は経済成長のために、いろんなことをあえて捨ててきたけれど、人間の本来の美しさに関する概念も、日本が捨ててきたことのひとつなんじゃないかと思うんです。
グレイヘア、着物、そしてYouTube「サト読ム。」
質問:この年齢になってから、ご自身のYouTubeチャンネル「サト読ム。」をはじめた理由は?
まさか自分がYouTubeをやるとは全く思っていなかったんです。私は、声の仕事は自分のプロフェッションだという意識がありますが、動画を撮るとか、編集するとか、発信するということに関しては技術的なことも含めてまったく自信がありませんでしたから。たまたま「一緒にやろうよ」と言ってくれた仲間がいたので始めたんです。
最初は朗読を発信しようとしたんですが、全然再生回数が伸びなくて(苦笑)。まずは認知してもらうことが大事なので、趣味の着物をテーマにして、着付けや着物を絡めた文化などを発信しています。
日本でも、着物を日常的に着ている人はマイノリティーですから、「私は着物が好きだから、会社に着物を着て行ってもいいかしら」という一歩を踏み出す気持ちが強い人たちと一緒に、今後どういうふうに生きていこうかとか、何を選択していこうかだとうか、自由って何だろうねというようなところも絡めながら、YouTubeチャンネルもいろんな方向性で進めていこうと思っています。
質問:近藤さんにとって、着物の魅力とは何ですか?
着物って国際的に見たら、いわゆる民族衣装というカテゴリーに入るわけです。着物のルーツは平安時代といわれますが、数千年に渡り形を変えながらも現代に残っているという、その民族的な意地というか、粋というか、そこに惚れるなというのがありまして(笑)。
民族衣装的なものは、どこの国のものも、だいたい消えていくんですよね。なぜなら機能的ではないし、現代の生活に合わないから。なのに着物は消えていない。そこには着物の高い美意識と培われた超絶技巧などがあるのですが、その素晴らしい技術が継承されず、廃業されたりして消えていこうとしているので、それを止めたい、応援したいという気持ちもあります。
最近では若い人たちが古着の着物をブーツやスカートに合わせたりして、楽しく着ているのを見ると嬉しく思いますね。
朗読劇「Va Va Va」人生の折り返しに差し掛かった女性たち
質問:10月9日に東京で上演される朗読劇「Va Va Va」についてお尋ねします。共演される山村美智さん、河野景子さんも元フジテレビのアナウンサーですが、3人でこの朗読劇を開催することになった経緯を教えてください。
たまたま、なんです(笑)。フジテレビ退職後もOB会などで顔を合わせるうちに、3人で定期的に集まってお食事をするようになり、いつか朗読会でもやりたいわねと言っていたんですよ。
質問:「Va Va Va」の意味はなんですか?
「Va Va Va」(バババ)は、フランス語で「Go Go Go」という意味なんですって。だから前に進むとか、前進するとか、そういった前向きな言葉で、かつ3人ということに掛けて。これを、おばあさんの「バ」だと思ってもらっても結構!なんて、ちょっと洒落もありつつ(笑)。でも本来の意味は「いくぞ!」ということなんですよ。
質問:この朗読劇は、どのようなお話ですか?
「Va Va Va」は、夫(バツ2)が遺産を残して急逝し、その妻(近藤サト)、元妻(河野景子)、元々妻(山村美智)の三人が喧嘩しながら同居して生活していく、さあどうなる、というオリジナル・コメディです。ときには対立したり喧嘩をしたりとバトルもありますが、それでも離れずに同居を続ける女たちのお話。演出は「東京ラブストーリー」や「ひとつ屋根の下」、「ロングバケーション」など、いわゆるフジテレビの黄金期のドラマを手がけた永山耕三さんなんです。今は退職されているんですが、「俺がやってやるよ」と言ってくださって。
質問:この朗読劇をどんな方々に観ていただきたいですか?
若い方にももちろん観ていただきたいですが、やっぱり特に私たちと年齢的に近い方に観ていただきたいですね。
この劇は、「この年齢になった私たちが今後どうやって生きていきたいか」ということも含めて、みんなが前に進めるような、元気になるようなことをテーマにしたお話なんです。夫に先立たれた妻、あるいは子どもがいない、人生に停滞感を感じている、そんな女性たちが残された人生をどう生きていくか、どう前向きに生きていくか、何がきっかけになるか、誰がサポートするかなど、いろんな要素を含んでいるので、「前に進みたい」「背中を押して欲しい」と思っている方々に是非、観ていただきたいなと思っています。
質問:まさに弊誌の読者層やスタッフ層と重なりますね! 最後に、近藤さんがこの作品を通して伝えたいメッセージは何ですか?
身内と呼べる家族がいなくても、それぞれがどう生きていくか、どう楽しんでいくかというストーリーなので、この作品を通して、「私もこういう人生だったら楽しかも」って思っていただけたら嬉しいです。
近藤サトさん プロフィール
近藤サト(こんどうさと):
1968年岐阜県生まれ。日本大学芸術学部放送学科卒業。1991年4月、フジテレビ入社。報道番組や情報番組などのナレーションを担当。1998年9月、フジテレビ退社。フリーランスに転身後は、落ち着いた声質をいかしてNTV『真相報道 バンキシャ!』などのナレーションを中心に活躍。また、母校である日本大学芸術学部の特任教授も務める。